サヴィンコフを読む大佛次郎と アルベール・カミュ

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抄録

20 世紀前半の帝政ロシアの革命家ボリス・サヴィンコフは、自身のテロリストとしての実体験をもとに執筆した回想録『テロリスト群像』を1926 年に出版した。これを下敷きにして大佛は小説『詩人』を1933 年に発表し、アルベール・カミュも同じサヴィンコフの回想録をもとにした戯曲『正義の人びと』を1949 年に上演する。両作家はともに『テロリスト群像』第一部第二章で語られる、1905 年のセルゲイ大公暗殺の実行犯カリャーエフを主人公に据えているのだが、本論では、これら三作品を照らし合わせることで、同じ悲劇的運命を辿るそれぞれのカリャーエフ像の差異を浮き彫りにすることを試みた。ノンフィクション小説として執筆された大佛の『詩人』を構成するテキストの大部分は、『テロリスト群像』の英語訳を日本語に訳したものである。だが大佛は、『テロリスト群像』でサヴィンコフが伝えるカリャーエフの狂信的な側面を自作に取り込むことはせず、大公と同じ馬車に乗っていた子供と大公妃の命を助けたことを加筆によって強調することで、原作以上に人道的なカリャーエフ像を提示している。カミュも大佛と同様に、子供たちに爆弾を投げなかったカリャーエフの葛藤を丁寧に描くことで、カリャーエフの「心優しき殺人者」としてのイメージを打ち出している。しかしながら『正義の人びと』が『テロリスト群像』および『詩人』と異なるのは、戯曲の第四幕が示す通り、カリャーエフによる大公暗殺の倫理的な是非が問われている点である。カミュのカリャーエフは、大公暗殺が犯罪であることを認識しており、自らの死をもって償うことでその有罪性を引き受けているのだ。また、大佛とカミュのカリャーエフ像は、両作家の執筆当時の問題意識をそれぞれ反映している。1930 年代に日本の軍部が台頭していく時代を背景に『詩人』を執筆した大佛は、カリャーエフの中に、民衆を虐げる圧政に対して献身的に闘う「正義の人」を見出した。対してカミュは、対独協力者の粛清を支持したのち暴力の行使に加担したことを深く反省し、「暴力は不可避であると同時に正当化できない」という自身のジレンマをカリャーエフに投影する。カミュのカリャーエフは、第二次世界大戦後の作家の思索の集大成である「反抗」の体現者として神話化されているのだ。

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