<論文>浅井忠の美術教科書 --洋画指導からデザイン指導へ--

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タイトル別名
  • <Articles>Asai Chu's Art Textbook: From Teaching Western-style Painting to Teaching Design
  • 浅井忠の美術教科書 : 洋画指導からデザイン指導へ
  • アサイ チュウ ノ ビジュツ キョウカショ : ヨウガ シドウ カラ デザイン シドウ エ

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説明

浅井忠は洋画家として活動する一方で,生涯に数多くの教科書を刊行したことでも知られている。最初に手がけた教科書は,画家としての本格的デビューより早い明治15年(1882)刊行の『習画帖』であり,没後に遺稿をもとに弟子たちが編纂した『訂正浅井自在画臨本』に至るまで多くの教科書を作成している。本論文では,浅井の美術教科書をめぐる二つの疑問の解決を試みた。ひとつは,どのような理由で浅井は明治15年の段階で『習画帖』を作成したのか,二つ目は,渡欧以来デザイン教育に興味を示した浅井の教科書になんらかの変化があったのかという点である。第1の点については,工部美術学校でのフォンタネージの指導が洋画制作だけではなく指導方法にも及んでいた点,その実践の場ともいうべき絵画指導の経験を共著者である高橋源吉の父である高橋由一から与えられた点から影響があったことを明らかにした。第2の点については,浅井が,1900年のパリ万博視察ののち,明治35年開校の京都高等工芸学校に転任して以降に出版した『新編自在画臨本』(明治39年)と『訂正浅井自在画臨本』(明治42年)を分析した結果,以下の結論を得た。『新編自在画臨本』には,それまでの浅井の教科書にはみられなかった図案制作についての指導が体系的に取り込まれている。とくに,それは工芸品の表面を飾る図案であった。一方,浅井の没後に,その遺稿を都鳥英喜,渡辺審也がまとめた『訂正浅井自在画臨本』では,全体のなかで図案関係のページが占める割合は増えているが,模様に関する項目が前後して配置されているため体系的な教育には向かない点,便化の例など図案制作の理論を示すページが増えており,工芸に即した図案づくりという点からは離れている点が指摘できた。

収録刊行物

  • 人文學報

    人文學報 120 47-72, 2023-02-28

    京都大學人文科學研究所

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