近世・近代の名古屋における花街の空間的変遷に関する研究

書誌事項

タイトル別名
  • A Study on the Spatial Transition of “Kagai” in Nagoya from the Edo Period to the Early Showa Period

抄録

<p>本研究の目的は、料理屋、待合茶屋、芸妓所在の分布から、江戸期から昭和初期までの名古屋における花街の空間的変遷を明らかにすることであり、以下のような結論を得た。(1)江戸後期には、魚之棚界隈、広小路界隈、大須界隈に芸妓が所在し、魚之棚界隈が料理屋街となった。熱田界隈にも芸妓が所在していた。(2)明治初頭には、江戸後期の状況が引き継がれつつ、芸妓置屋の組合である連が設立された。(3)明治期には、近世からの市街地の東西縁辺部や、これに接続する場所でも連が設立され、新たな花街空間が出現した(巾下界隈、舎人界隈、大曽根界隈)。(4)大正・昭和初期には、芸妓置屋の立地規制がおこなわれたが限定的で、拡大した市街地においても連が設立され、新たな花街空間が出現した(金山界隈、東古渡界隈、西古渡界隈)。さらに、市街地から離れた郊外でも、路面電車の敷設を伴う土地開発に合わせ、新たな花街空間が出現した(中村遊廓界隈、名古屋港界隈)。郊外の行楽地や別荘地での料理屋開業も同様のものであった(覚王山周辺、八事周辺)。</p>

収録刊行物

  • 都市計画論文集

    都市計画論文集 59 (1), 73-85, 2024-04-25

    公益社団法人 日本都市計画学会

参考文献 (2)*注記

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