現代会計学の誤解と迷走

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  • Misunderstandings and Confusion in Modern Accounting

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抄録

本稿は、現代会計学の理論と実務に潜む誤解と、その結果としての迷走をあぶりだそうとするものである。論じているのは、次の4点である。  ( 1 )世の中に広まる「学問の自由」や「科学者」に関する幻想や誤解は数え上げたらきりがない。「科学」と思っていたことが金まみれの技であったり、「(科)学者」と言われる人が剽窃・盗用の常習者であったり、平和利用を隠れ蓑にした兵器開発など、科学・学問の暴走とも見える例は少なくない。さて、日本学術会議はそうした科学・学問の暴走を止める力があるのだろうか。  ( 2 )会計ルールの設定は、伝統的に企業会計の実務のなかから一般に公正妥当と認められたところを要約するという帰納的アプローチを採ってきた。しかし、帰納的アプローチでは新しいタイプの取引や事象に対応するのが困難であるとか、会計ルール相互の首尾一貫性や整合性が取れないなどの問題が指摘されていた。こうした問題を解決するために会計ルールを理論的な体系になるように演繹的に開発することが求められるようになり、その手段として登場したのがコンセプチュアル・フレームワークである。果たして狙い通りにコンセプチュアル・フレームワークは問題の解決に役立っているであろうか。  ( 3 )法は、しばしば、形式を重んじるために、取引や事実の実質よりも外形を重視した規定を設けることがある。会計では、そうした法の形式よりも、取引や事実の経済的実質を重視した会計処理・報告をするべきである、と言われることがある。これを「実質優先原則」という。なるほど、と思わせる話ではあるが、では、経済的実質を開示することを理由に、法を破ることが許されるのであろうか。  ( 4 )今の会計では、企業の生産・販売活動に伴って発生した環境破壊・大気汚染・健康被害などの予防と回復に掛かるコストは認識(計上)しない。そうしたコストは製造・販売者である企業は頬かむりで、別の誰かが負担するか被害を受けてきた。ものをつくって販売している企業は、こうしたコストを負担しない分、利益をかさ上げしてきたのである。「利益は私有化され、費用・損失は社会化(つまり社会負担)される」のだ。企業が社会正義に反することを続けても、それを会計が馬鹿正直に事業活動の成果として計算・報告するというのは何ともやりきれない話ではないか。

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