《七百頌般若経》での「一行三昧」

  • 趙 文
    Associate Professor, Nankai University

書誌事項

タイトル別名
  • The <i>eka-vyūha-samādhi</i> in the <i>Saptaśatikā </i><i>Prajñāpāramitā</i>
  • The eka-vyuha-samadhi in the Saptasatika Prajnaparamita

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説明

<p> 「一行三昧」(eka-vyūha-samādhi)は東アジア仏教のさまざまな伝統で重要視されているが,通常,この三昧の異なる側面が強調されている.この「一行三昧」の本来の意味を明確にするために,サンスクリットの原典の定義を検討し,異なる中国語訳と比較する必要がある.この論文は,このような比較を通じて,《七百頌般若経》での「一行三昧」の定義の2つの主要な側面(基本的な実践と哲学的な解釈)を説明する.最初に,「一行三昧」の基本的な実践は,念仏(buddhānusmṛti)に焦点を当てる.観想念仏と名号念仏の要素は含まれている可能性があるが,後者が強調されている.また,「一行三昧」の定義には,「法界」の哲学的理解も含まれている.初期の大乗仏典において,念仏のプロセスは通常,一仏に焦点を当て,すべての仏を見ることを目指すものである.したがって,《華厳経》の「法界」の「一即一切,一切即一」が,念仏の実践における基本的な実践と最終的な目標との関連性を説明するために適用されている.</p>

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参考文献 (1)*注記

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