<研究論文>江戸における心中物とその時代 : 『曾根崎心中』を手がかりに

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タイトル別名
  • <Research Article>Early Eighteenth Century Kabuki Historical Background

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本稿は、現在でも人気のある『曾根崎心中』を手がかりに、18世紀初頭の心中物を通して、江戸における上方文化の受容様態の一端を検証したものである。『曾根崎心中』は、元禄16(1703)年に上演された近松門左衛門作の世話浄瑠璃であるが、その歌舞伎化は享保4(1719)年に江戸でなされたとする記述が近年散見される。その点について再考すべく、江戸での上演が原作の歌舞伎化ではなかったことを論証し、江戸における『曾根崎心中』の歌舞伎化について問題提起を行った。  検証にあたり、まずは江戸における心中物の上演状況を考察した。江戸の心中物に特徴的なのは、同地で起きた心中事件を素材とするのではなく、上方の心中物を上演していた点である。心中物の流行は享保8(1723)年の「心中禁止令」をもっていったん終焉を迎えるが、その後も江戸市中の心中事件がやむことはなく、「心中禁止令」の限界を指摘した。  次に、江戸の心中物において欠くことのできない2代目市川團十郎の志向について述べた。彼は、上方の心中物に江戸独自の要素を織り交ぜて上演しており、その点が江戸の観客に受け入れられた理由のひとつと言える。これをもとに、当時の江戸の人々を取り巻く時代環境についても検証した。18世紀初頭には上方の音曲が江戸に伝えられ流行しており、当時の江戸の人々はそれらを積極的に受け入れていた。こうした環境もまた、心中物の流行に影響を及ぼしたものと考えられる。  その上で、なぜ『曾根崎心中』という心中物が上演演目に選ばれたのか考察した。その結果、上演される演目に「年忌」という概念が深く関わっていたこと、また江戸の心中物では主人公の見せ方が原作である浄瑠璃とは異なることなどの特徴が新たに明らかとなった。しかし、こうした特徴も年を追う毎に原作に則った見せ方へと変容していく。その背景として、江戸における義太夫の定着と流行をあげた。上方の文化は、江戸の人々にとってしだいに憧憬と羨望の対象というだけにとどまらなくなっていたのであり、江戸の心中物が逆に上方の舞台に採用されるまでに至った。  以上のように、18世紀初頭の江戸―上方間における文化往来の一端を明らかにした。最後に、当該時期以降の心中物の上演のあり方と心中物が後世まで伝わった理由をあげ、今後の課題とした。

収録刊行物

  • 日本研究

    日本研究 69 49-83, 2024-10-10

    国際日本文化研究センター

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