明治期の攻玉社土木科同窓会誌

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書誌事項

タイトル別名
  • On the Bulletine of the Alumni Association of Kougyokusha Civil Engineer School in Meiji Era
  • as an Imformation Magazine on Civil Engineering
  • 土木技術情報誌の一翼として

抄録

「攻玉社」は1863 (文久3年) に明治期の先覚者近藤真琴が、東京四ッ谷坂町の鳥羽藩邸内に蘭学塾を開いたのを発祥とする。蘭学塾はその後幾多の変遷を経て, 現在の攻玉社高等学校, 攻玉社工科短期大学, 及び攻玉社専門学校となっている。真琴は明治維新の「富国強兵」「殖産興業」の国策を遂行するためには, 先ず運輸 (道路, 鉄道, 港湾), 通信 (電信, 電話) 等の社会基盤の整備をしなければならぬと考えた。そして1880 (明治13年6月) 私財を投じて攻玉社附属陸地測量習練所を開設し、明治17年12月量地黌と改称, さらに工学校, 高等工学校と発展し, 連綿として百十余年, 現在の短期大学及び専門学校に至っている。<BR>明治期の帝大, 高等工業学校等の高等教育を受けた土木技術者は総計約1, 500名で, 他方, 攻玉社の2, 500名を含めた工手学校, 鉄道学校等の普通教育の卒業生は総計約6, 400名であった。攻玉社の卒業生は黎明期の明治土木界の各方面で中堅技術者として活躍した。攻玉社土木科は明治21年7月に第1回卒業生2名を送ったが, 同23年10月には土木科の同窓会が発足し, 同時に「同窓会誌」が創刊され, 大正6年第236号まで27年間続いた。そのうち, 第6号 (明治24年3月) から第160号 (明治38年1月) までが, 東京大学の明治新聞雑誌文庫に所蔵されていることが判明した。<BR>「同窓会誌」は同窓生 (正員) のみならず, 一般の読者 (外員) にも頒布された。この会誌は会員の親睦誌というよりは, むしろ, 「文明開化」によってもたらされた, 新しい欧米式の設計・施工等に関する知識の説明や紹介が主体であった。また本誌には全国の土木事業の計画 (予算を含む) や工事報告 (清算額を含む) も掲載されるので, 会員の過半数は外員で, あたかも総合技術誌として購読されたと考えられる。<BR>本論文は主として, この同窓会誌の概要を説明するとともに, その当時の土木工師 (技術者) の意気込みを探ってみたいと考える。

収録刊行物

  • 土木史研究

    土木史研究 15 345-352, 1995

    公益社団法人 土木学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282679304773504
  • NII論文ID
    130004038264
  • DOI
    10.2208/journalhs1990.15.345
  • ISSN
    18848141
    09167293
  • データソース種別
    • JaLC
    • Crossref
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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