戦間期朝鮮における「産米増殖計画」と朝鮮殖産銀行

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タイトル別名
  • Plans for increasing rice production in colonial Korea : financing of the Chosen Industrial Bank
  • セン カンキ チョウセン ニ オケル 「 サンマイ ゾウショク ケイカク 」 ト チョウセン ショクサン ギンコウ

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抄録

本稿は「産米増殖計画」期(1920〜34年)における朝鮮殖産銀行(以下,殖銀と略記)の資金運用(朝鮮農業金融)と資金調達(日本植民地投資)の実証的検討をもとに,同行への大蔵省預金部による資金供給の意義を再検討することを課題とする。殖銀は1918年に農工銀行6行が合併して設立された特殊銀行であり,債券(殖産債)を発行して貸出原資を調達し,朝鮮内銀行貸付の過半を担った。その融資先構成では「産米増殖計画」関連の農業金融が中心で,無担保・長期の水利組合融資の比重が高かった。「産米増殖計画」は1926年に改められ,事業資金として預金部低利資金の供給が決まる。ただし実際には計画外の,昭和恐慌下で破綻に瀕した水利組合の救済により多く充当され,これにより殖銀は多額の債権の不良化を回避することができた。殖銀にとって預金部資金の供給は救済的な意義を持っていたのであった。またこれは同時に殖銀の資金源泉であった地方金融機関や財閥系金融機関,都市銀行,生保,個人投資家などの投資家層が,殖産債への投資リスクを肩代わりされたことを意味したと言える。

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