明治後期河内綿織物業の展開について

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タイトル別名
  • Movement of the Modern Cotton Textile Industry in the Northern Kawachi
  • メイジ コウキ カワチ メン オリモノギョウ ノ テンカイ ニ ツイテ

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抄録

本稿は明治後期における大阪府下河内地方北部での綿織物工場の展開を, 河内地方における綿織物業の近代的工場制生産への萌芽とみなし, その特質を明らかにしようとするものである. 同時期の河内地方北部における綿織物業者の動向を知るために, ここでは当時の大阪府および同業組合関係者が作成した「重要物産同業組合設立関係書綴」に納められている「雲斎厚司同業組合」および「北河内郡織物同業組合」の設立関係書類を利用している. 中河内郡では雲斎厚司製織業者が郡北部に集中し, 大阪府全域を対象とした同業組合の設立を目指していたが, 同織物関係の流通業者を取り込めないまま, 中河内郡内の製織業者のみの同業組合しか設立できなかった.しかも, 同組合関係者の中からは一部しか織物工場主へ転化しなかった. 北河内郡では綿ネル, タオルなど明治期以降に導入された綿織物製織業者が中心で, 同業組合関係者の多くが織物工場主へ転化し, 工場制生産がかなり早くから展開し始めた. その点で和泉地方と同様, 織物業の近代化への動きは存在していた. しかし, 河内地方北部では明治末以降, 新たな織物工場の展開が不活発となり, 和泉地方での綿織物工業の発達とは対照的に, 綿織物業は停滞した. この地域では大阪への近接性が農村労働力の流出や労働賃金の上昇に結び付き, また, 製織業者の小規模性, 小資本性が停滞の要因になっていた.

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