江戸幕府による日本総図の編纂

書誌事項

タイトル別名
  • The National Maps of Japan Compiled by the Tokugawa Shogunate

この論文をさがす

説明

<p>江戸幕府は慣例的に全国から集めた国絵図に基づいて日本総図を集成していた。国土の地図づくりが制度の存立や機能と関って国家権力により組織的に遂行されていた。だが従来研究不十分のまま,幕府が編纂した日本総図は最後の伊能図を除くと慶長・正保・元禄・享保の4回であるとみなされてきた。だが,近年の研究によりとくに江戸初期において,慶長図の編纂はなく,寛永期の2度の編纂など,従来の通説を大きく改める成果を生むに至った。幕府編纂の日本総図は順を追うと,最初は寛永10年,同15年,正保初回,正保再製,元禄,享保とつづき,最後は文政の伊能図にいたる全部で7回に及んでいた。伊能図は国絵図に基づく集成ではなく,成立経緯が他とは異なることから本稿では除外している。しかるに,江戸幕府の日本総図は時々の政治や社会情勢を背景にして図示・内容に違いはでているが,全国の国絵図をいかに接合するかの技術面でも各期工夫があった。寛永期には巡見使が持ち寄った国絵図には各国,寸法や様式にばらつきがあったので,それをおおよそ統一した二次的写本が作られた。正保に至り,初めて国絵図の全国的な縮尺の統一があって日本総図の編集作業は大きく進展した。元禄の国境縁絵図の厳密な突合せはかえって人為的な妥協を生んだ。八代将軍吉宗は,数学者を登用して遠望術(望視交会法)による国絵図接合を果たすなど,国絵図接合技術の進展過程を明らかにしている。</p>

収録刊行物

  • 人文地理

    人文地理 68 (1), 79-93, 2016

    一般社団法人 人文地理学会

参考文献 (2)*注記

もっと見る

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ