佐渡金山の盛衰について

Description

佐渡金山といっているが,これは常識的に云っているので,実際は佐渡銀山である。近来観光ブームで,案内書やバスガールの説明にも,常識的な解説が多いが事実はもっと深刻である。講師は,幾多の古文書や,時には,かって銀山に働いた老婆を生字引として事実を説明する。関ケ原の戦は徳川と豊臣の天下分け目の戦であったが,その背後に豊臣家の管理下にあった佐渡金山を家康が手中に収めんとする意図に端を発していることを述べ,鬼才,大久保長安の鉱山経営法,その中に前借制度や,談合がとり入れられ,慶長年間の産銀量は当時の世界の産銀量の25%に上ることを説明し,その長安が何故,悲惨な最後をとげたか,そこに銀山の盛衰のあとを辿る,更にその後の徳川幕府の銀山経営法を述べ,所謂,無宿者の正体を説明する。そして,生字引の老婆の述懐で終りを結んでいる。

Journal

  • Journal of Jsee

    Journal of Jsee 20 (2), 44-54, 1973

    Japanese Society for Engineering Education

Details 詳細情報について

  • CRID
    1390282680295411584
  • NII Article ID
    130003640782
  • DOI
    10.4307/jsee1953.20.44
  • ISSN
    18839002
  • Text Lang
    ja
  • Data Source
    • JaLC
    • Crossref
    • CiNii Articles
  • Abstract License Flag
    Disallowed

Report a problem

Back to top