貫之の恋歌「吉野川岩波高く行く水の」の解釈をめぐって

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タイトル別名
  • Concerning an Interpretation of Tsurayuki's Love Tanka "Yoshinogawa Iwanamitakaku Ikumizuno…"
  • ツラユキ ノ コイウタ ヨシノガワ イワナミ タカク イク ミズ ノ ノ カイシャク オ メグッテ

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抄録

貫之集恋歌の中に次のような一首がある。吉野川岩波高く行く水のはやくぞ人を思ひそめてしこの歌は古今集にも所収されており、注釈書の多くは「吉野川岩波高く行く水の」を「はやく」と言いかけた序詞とし、「吉野川の岩波高く流れる水のように」と直喩表現で解釈している。また「はやく」は「激しく」と「ずっと以前から」の二通りに解釈できる語であることから、当然、注釈書の口語訳も二つに分かれている。上の句を序詞とする立場からでは、その解釈を一方に決定することは困難である。しかし、本文に「如く」がないのに、補って「〜のように」と解釈するのは誤りであろう。今、序詞という考え方を捨てて別の見方をし、「の」を「〜で」と訳す方法を提案したい。そこで上の句を序詞ではなく「私の心は、吉野川岩波高く行く水そのもので」という気持ちにとれば、下の句は「激しくあなたを思いそめていたのです」となり、「はやく」は「激しく」の意に決定づけることができるだろう。貫之集恋歌には、同じ構造を持つ歌群があり、すべて「の」を「〜で」と解釈することで深みのある歌となる。これは貫之の表現の特質と考えられる。本稿はこれらの歌を一つひとつ検討することによって新しい解釈を試み、そこに貫之の和歌における独自性を見出そうとするものである。

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