ドイツ観念論における倫理的共同存在の問題

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タイトル別名
  • ドイツ観念論における倫理的共同存在の問題--「相互承認」をめぐって
  • ドイツ カンネンロン ニ オケル リンリテキ キョウドウ ソンザイ ノ モンダ
  • 「相互承認」をめぐって

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抄録

ドイツ観念論倫理学の基本性格は、経験的なものから純化されたアプリオリな理性意志=自由意志をその原理とする点にあるといえよう。カントは、このような理性意志にこそ、万人を結合する道徳法則の根拠、万人の自由な倫理的共同存在にとっての根本原理が求められると考えた。しかし、倫理的共同存在の実現の問題が具体的に問われるためには、カントにおいて捨象されるのに急であった意志主体(人格)相互のあいだの経験的諸規定があらためてとりあげられ、理性意志がどのようにしてこれらをつうじて内在的かつ具体的に確立されるかが把握しかえされなければならないであろう。そしてまた、このような過程をへることによって、理性意志の原理は、経験的なものを外的に規定する形式的原理であることをこえて、経験的なもののなかで作用する生きた内在的形式、活動原理にまで高められることになるであろう。フィヒテを経てヘーゲルに到るドイッ観念論倫理学の歩みは、これらの問題の自覚的追求の過程でもあった。この過程においては、意志相互の具体的な関係と働きかけ(交通)およびその現実的な場としての社会のなかでの意志の理性的形成(理性意志の社会的、間主観的基礎づけ)の問題が論究されるとともに、逆にまた、現実社会がこのような理性意志の実現として理性化、倫理化 (社会の理性的基礎づけ) される方向へと進んでいく。<BR>本稿では、ドイツ観念論におけるこのような推移を、とくに、そのさいの考察の結節点としての位置にあると思われる「相互承認Gegenseitiges Anerkennen」概念に着目しつつ、またこの概念を自覚的にとりあげた初期フィヒテとヘーゲルを重点に、概観してみたいと思う。

収録刊行物

  • 哲学

    哲学 1977 (27), 149-159, 1977-05-01

    日本哲学会

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