書評 森田伸子著『文字の経験 : 読むことと書くことの思想史』

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Other Title
  • 森田伸子著『文字の経験-読むことと書くことの思想史-』
  • ショヒョウ モリタ ノブコ チョ 『 モジ ノ ケイケン : ヨム コト ト カク コト ノ シソウシ 』

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Abstract

いまこの文章を読んでくださっている皆さんであれば、すでに文字をめぐるさまざまな経験をお持ちだろう。書店あるいは図書館の膨大な文献を前にして目のくらむような思いをされたことはなかっただろうか。あるいは、慣れない横文字と格闘しながら「読み」にともなう摩擦を実感されたこと、買ったばかりのペンで何度も自分の名前や恋い焦がれるひとの名前を白い紙に書き連ねてみた経験。もちろん、文字のない文化に生まれ育ってもひとはまっとうに生きていけよう。一方、文字を持ってしまったわれわれには、もはや文字は-意識しようがしていまいが-われわれの身体と感情と思考と願望を方向付ける枠組みの一つとなっている。文字はわれわれの生活を制限付けるとともに豊かにもしてくれているのだ。本書は、文字に生きたひとびとに著者自身が寄り添いながらそうした生活の豊かな広がりを描き出した作品である。<BR>森田氏は本書について次のように言う。「本書は、ここ数年来私の研究関心を占めてきた、言語、とりわけ文字言語が人間にとって持つ意味について考察をまとめたものです」 (二七五頁) 。本編には、既発表論文四篇が全体構成にあわせて裁断され書き直されて組み込まれているものの、「全体としてはほぼ書き下ろしといっていいもの」である。四篇の論文のうちには古くは一九八七年に発表されたものもあり、森田氏がこのテーマに長く関心を寄せられていたことがうかがえる。それどころか、「文字の人」であったご両親への想いが綴られているように (二七七頁以降) 、氏の研究関心はパーソナルな強い思いに裏打ちされている。氏が「本書は研究書として書かれたというよりは、私の自由な考察を述べたものになりました」 (二七六頁) と言うのも、本書が専門家に留まらず広い読者に向けて書かれたからだけでなく、文字に生きたひとびとへの共感があるからであろう。<BR>また、本書のねらいについて森田氏は次のように言う。「本書では、文字をめぐるさまざまな思索と経験について書かれたテクストを取り上げ、できる限りその思索と経験を忠実に追体験してみることに努めてみたい」 (iV頁) 。そして、読者は森田氏に誘われてさまざまな物語を追体験することになる。フランシス・コッポラ監督の映画『アウトサイダー』に描かれたジョニーとダラスの死に立ち会い、パリの裏町を舞台にした映画から、親になかば捨てられたユダヤ人少年モモとトルコ移民の老人イブラヒムとの交流を見守る。二人の「文盲」、一八世紀フランスの羊飼いデュヴァルと二〇世紀イタリアの羊飼いガヴィーノの自伝。ドラッグとセックスの日常を生きる若者を描いた小説『レス・ザン・ゼロ』の主人公クレイの救い。フィクションであれ、ノンフィクションであれ、固有名を持つ個人の多様な生が文字をめぐる人生として確認されるのである。こうした人生の追体験を縦糸にして、さまざまなリテラシー観、啓示・啓蒙・聾教育・国民形成における文字思想の検討を横糸として本書は編まれている。

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