源氏物語の音楽

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  • ゲンジ モノガタリ ノ オンガク

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抄録

源氏物語には、舞楽、管絃などを扱った場面が非常に多い。現存する当時の物語と比較してみても、その量は断然他をひきはなしている。宇津保物語は、職を物語の一つの主題としているくらいなので、当然音楽に関する場面は多いが、琴 (きん) 以外はあまり詳しくなく、その描き方も、仲忠や涼が琴 (きん) を弾くと、急に雪が降ったり、天人が下りて来て舞ったり、非常に誇張して書かれていて、とれをそのまま当時の演奏の実際とみるわけにはいかない。源氏物語の三分の二近くの長さをもつ栄花物語などは、あれだけ宮中生活を細かにうつしながら、音楽の記事はきわめて少く、作者が、ほとんど音楽というものに興味を持っていなかったとしか思われない。源氏の作者が、音楽にかなり興味を持っていたらしいことは、紫式部日記などからもうかがえることであるし、音楽関係以外のことの描き方などから推して、その記述は、まず、描こうとした時代のものを正確にうつしているとみてよいと思う。ここで、描こうとした時代、といったように、物語に描かれているのは、作者が、作品を書いた時代ではない。このことに関しては、山田孝雄博士が「源氏物語之音楽」で詳しく論じていられるが、作者は、一時代前の、延喜天暦期 (九〇一. 九五六) の音楽を描いているのである。作品の出来た一条天皇 (九八六. 一〇一一) の御代と、延喜天暦期とは、四、五十年ほどの隔りではあるが、楽器の種類などにもかなりの変化があるようである。作者は、儀式、制度、その他種々な点で、しばしば、延喜天暦期にはあって、一条天皇の頃にはなくなっているものを描く。それによって、読者に、一時代前の世界を想い浮べさせようとするのである。平安時代のことに関して、極めてわずかな知識しか持たない我々は、このせっかくの作者の用意も気がつかずに過ぎてしまうことが多いが、ふとした機会に、偶然そのようなものにぶつかったものだけでもかなりの数になる。丹念に調べれば、まだまだそういう例はあるのであろう。音楽に関する記述のみを調べて、作者のこの方法を明らかにされたのが山田博士の「源氏物語之音楽」である。このように、延喜天暦期の音楽を描いたとすると、前に、宇津保物語について、その描写が写実的でなく、直ちに資料には用いがたいように記したが、これとても、おそらく大部分は、当時の実際の有様を写したのであろうから、当然研究し、源氏のものと合わせ考えなければならないのであろうが、今のところほとんど手がつけられていない。<BR>さて、この稿の題には「源氏物語の音楽」などと大袈裟なことを記してしまったが、実は、他の目的で、物語中の管絃の遊びを調べているうちに気がついた、ほんの二、三のことを書いてみたに過ぎない。源氏物語は、これらのことを調べるきっかけになっただけのことでしかないようなものである。その上、私は、現在行なわれている、舞楽、管絃、歌謡等に関してはほとんど全くといってよいほど知識がないので、もっぱらこの物語と、その近辺の幾つかの資料によったから、音楽上考えられないような結果を出してしまう危険も十分あり得るのである。<BR>ここに「管絃の遊び」といったのは源氏物語の中には、舞楽、管絃、歌謡、神楽、東遊等が描かれているが、その中の、管絃および歌謡、しかも、専門の楽人によるものでなく、皇族、貴族達自らが演奏し、歌うものを指す。物語中では、単に「あそび」といい、宮中で行なわれる「殿上の御あそび」、「御前 (ぜん) の御あそび」、「御まへの御あそび」、「うへの御あそび」等と、貴族の邸宅で行われる「あそび」、「御あそび」とがある。この「あそび」の語は、舞楽は含まないのが普通である。

収録刊行物

  • 東洋音楽研究

    東洋音楽研究 1965 (18), 157-175, 1965

    社団法人 東洋音楽学会

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