The Problem of the Simultaneous Arising of Six Vijnanas:

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Other Title
  • 六識の同時生起に関する問題
  • The Problem of the Simultaneous Arising of Six Vijnanas : In the Pancavijnanakayasamprayuktabhumi and the Manobhumi
  • ―― 「五識身相応地」および「意地」において――
  • In the Pancavijnanakayasamprayuktabhumi and the Manobhumi

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Abstract

瑜伽行唯識学派の認識理論といえば,独自に発展した八識説が関心を集めてきた.一方,それ以前の段階における初期の瑜伽行派に関して,インド仏教で伝統的な六識の理論をどのように理解していたかについては,あまり注目されず曖昧な点も多い.『瑜伽師地論』冒頭の「五識身相応地」「意地」は,その解明のための重要な手がかりである.両地における一連の認識理論に関して,複数の認識が同時に生起すること(認識倶起)を認める立場であったか否かについては,いくつかの研究が「意地」の一節(na casti pancanam vijnanakayanam saha dvayoh ksanayor utpattih)を根拠に端的に考察する.しかし,山部氏はそれらが基づく従来のテキストに問題があることを指摘し,訂正案(saha→anusahitam)を提示された.この訂正案は単一写本を参照せずその他の根拠に拠ったものだが,今回筆者はそれを参照し,訂正案が支持されることを確認した.これに従えば当該箇所は,認識の倶起については言及せず認識の継起を問題にしている文言になる.よって認識倶起の問題に関する従来の判断は根拠を欠き,角度を変えた検討が必要となる.本稿の目的は,上記訂正案に従い,こうした事情を踏まえたうえで両地が認識倶起を認める立場であったか否かを再度検討し直すことである.そして,認識過程における各瞬間の心についてその可能性を検討し,これを認めない立場であると結論づけた.すなわち初期瑜伽行派は,認識倶起の可否については有部系アビダルマ(二心並起を否定)と同様の立場を取りつつ,念頭にある最大の関心としては五識と意識の継起が問題だったのである.これはテキスト訂正に基づき,より明確化した特徴である.今回の考察は,こうして浮かび上がった初期瑜伽行派の認識論的特徴とその背景及びその後の展開への流れについて,今後議論するための予備的考察を兼ねている.

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