『菩薩地』における菩薩による衆生の教化

  • 岡田 英作
    Kyoto University:JSPS:Institute of Esoteric Buddhist Culture, Koyasan University

書誌事項

タイトル別名
  • Buddhist Training of Living Beings by the Bodhisattva in the Bodhisattvabhumi:
  • Buddhist Training of Living Beings by the Bodhisattva in the Bodhisattvabhumi : Focusing on the Salvation of the Agotrastha
  • ―― agotrasthaの救いを中心に――
  • Focusing on the Salvation of the Agotrastha

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抄録

初期瑜伽行派の基本的論書である『瑜伽師地論』(Yogacarabhumi)において,般涅槃の到達可能性や菩提の区別に関しては,主に種姓(gotra)という語を通して議論される.そのような議論のなかで,agotrasthaという語は種姓に立脚した者(gotra-stha)の否定概念であり,agotrasthaという者は,菩提の獲得に関して資質がないと規定され,菩薩の成熟の対象となり得,善趣へ赴くために成熟させられるが,菩薩の教化対象から除外される.この者には菩提を獲得しあるいは般涅槃へ到達する可能性は全くないのか.本論文では,『瑜伽師地論』のなかの『菩薩地』(Bodhisattvabhumi)全体を踏まえつつ,菩薩による衆生の教化という点に焦点をあて,第2章「発心品」所説の菩薩の発願からagotrasthaの救済可能性を提示し,次に第18章「菩薩功徳品」の教説から,菩薩が教化対象を判別する基準を見出すことで,agotrasthaの救いに関して考察する.まず「発心品」所説の菩薩の発願において,菩薩は衆生利益として一切衆生を涅槃へ到達させるか如来の智を獲得させようとすることに依拠して,菩薩がagotrasthaを救い得ることを示し,次に「菩薩功徳品」の教説から,種姓を直接知覚できない菩薩にとって,究極的な苦から脱する可能性こそが,菩薩が教化対象を判別する基準であることを指摘する.従って,以上のことから,菩薩の教化対象として「いまは」除外されるagotrasthaは,菩薩による成熟によって善趣に赴いたとしても,「いつかは」教化対象のうちに数えられ,その際の教化対象を判別する基準とは,実質的に究極的な苦から脱する可能性であると言える.

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