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Santaraksita's Interpretation of the sahopalambhaniyama Proof Re-examined

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  • シャーンタラクシタのsahopalambhaniyama論証再考

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シャーンタラクシタは『タットヴァ・サングラハ』「外界対象の検討」章kk.66-67(TS_B 2029-2030)において無形象知識論を批判する際,ダルマキールティが認識対象とその認識との不異性(abheda)を証明するために用いた「必ず一緒に認識されること」(sahopalambhaniyama,PVin I.54ab)を証因とする論証を援引する.当該偈頌の解釈に際し,MATSUMOTO 1980はk.66dの接続詞vaはabhedaの二種の否定,即ち名辞の否定(paryudasa)と命題の否定(prasajyapratisedha)がシャーンタラクシタによって意図されており,それぞれ同一性,単なる差異の否定を示すとする.のみならず,前者を第一の喩例「青の知自身の本質〔と青の知〕のように」,後者を第二の喩例「第二の月〔と第一の月〕のように」に対応するものと解釈する.このような解釈は,PVin I.54abのabhedaがいずれの否定として解されるのかという点に議論の関心を寄せるダルモーツッラや後代の注釈家らの傾向に影響を受けている.しかし,シャーンタラクシタの意図を最も汲むべきは,彼らではなく,直弟たるカマラシーラであろう.本論考は,カマラシーラが同偈頌をどのように理解したのか,その解釈を新たな校訂テクストに基づいて検討することを目的とする.結果,カマラシーラによれば,接続詞vaは二種の否定を意図するためではなく,認識されるべき二者間の双方向的な(paraspara)無区別性即ち同一性を示すために用いられていることが明らかになった.また,第二の喩例に関して,カマラシーラは,錯誤知に顕現する二つの月,即ち第一の月の形象と第一の月の形象とが相互に異ならないことの根拠を,形象が知から区別されないことに求める.この第二の喩例におけるabhedaは名辞の否定に分類されることになるため,名辞の否定が第一の喩例に,命題の否定が第二の喩例にそれぞれ対応するという解釈が成立しないこともまた明らかである.

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