沖縄における米軍統治時代から本土復帰前後にかけての観光と場所イメージ

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タイトル別名
  • Tourism and Images of Place in Okinawa
  • An Overview from the US Military Occupation Era until just after the Reversion to Japan
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抄録

本発表では、第二次大戦後の米軍統治期から本土復帰前後の沖縄の場所イメージを、観光現象との関係性から、特に戦争の影響や米軍統治に注目して考察する。 1945年にアメリカ軍の軍政下におかれた沖縄には、1957年段階で15,123人の観光客が訪れ、そのうち7割強が日本人で2割弱がアメリカ人であった。多くを占める日本人観光客は、主にハワイ移民の帰郷者と、沖縄本島南部の戦跡を訪れる本土からの遺族巡礼者であった。また1958年には米ドルが沖縄で使用されるようになったためショッピング観光が行われるようなり、1960年頃には観光は沖縄で三番目の基幹産業になった。しかし、これら戦跡観光もショッピング観光のどちらも、当時その永続性と魅力が疑問視されており、また戦前注目されていた沖縄の植物景観や建築物も戦災で焼失して観光資源とならない状態が生じていた。 そのため、1960年ごろには、米軍が先鞭をつけた海浜リゾートの存在や、本土からの観光客の意見を背景に、海を観光資源として「発見」し、そのイメージを強調して「沖縄を第二のハワイ」とする道が模索されはじめていた。1965年には沖繩本島の中北部の西海岸が沖縄海岸政府立公園に指定され、その一部は海中公園とされて1970年には海中展望塔も建設された。 そして、1972年の本土復帰前には、沖縄開発に寄与することを目論んで国際海洋博覧会の開催の企画と用地選定がなされ、会場となった北部の本部半島は将来国際的な海洋リゾート・ゾーンにすることが企図されていた。そして博覧会での海のイメージは、沖縄と本土の一体感を回復しかつ存続する基地のイメージを隠蔽しようとする政府と、沖縄の優れた風景として考えかつ基地経済にかわるオルタナティヴとして観光産業に期待していた住民双方にとって重要なものとなり、また観光客も沖縄の海のイメージに憧れそこを訪れるようになっていたことが確認された。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680569153152
  • NII論文ID
    130005020843
  • DOI
    10.11518/hgeog.2004.0.30.0
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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