1873年ウィーン万国博覧会プログラムについて(3)

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書誌事項

タイトル別名
  • On the Program of Universal Exhibition 1873 in Vienna (3)
  • Kunstgewerbe Museum and Kunstgewerbeschule in Vienna (1)
  • クンストゲヴェルベ・ムゼウムとクンストゲヴェルベシューレ(1)

抄録

ウィーン万国博覧会の閉会後の明治7年、博覧会事務官として現地に派遣されていた平山英三は、ウィーンの美術工業博物館付属応用美術学校に日本人として初めて入学し、明治10年まで、当時の学長であった建築家のヨーゼフ・シュトルクのもとで応用美術を学んだ。美術工業博物館は1864年に、ロンドンのサウス・ケンジントン博物館をモデルとして設立され、応用美術学校は、博物館の教育機関として1868年に開校された。その教育目的は、美術工業(ガラス、テキスタイル、金工、陶磁器、木工家具、革工など)の要求に適う能力をもった人材の養成であり、その教育は、美術アカデミーと同じく絵画、彫刻、建築を基本とするものであった。こうした教育理念は、美術工業博物館の初代館長であったルドルフ・フォン・アイテルベルガーの考えに基づいていた。ウィーン大学の美術史教授でもあったアイテルベルガーは、当時の代表的な歴史主義者であり、平山の留学当時のウィーンの美術工業と建築は、その強い影響下にあった。美術工業博物館の建築様式や、応用美術学校における絵画、彫刻、建築教育は、アイテルベガーの歴史主義を反映していたのである

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680584148736
  • NII論文ID
    130006965834
  • DOI
    10.11247/jssd.50.0.26.0
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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