岸田吟香・矢津昌永・米倉二郎の中国地誌

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  • Regional geography of China written by Kishida, Yazu and Yonekura
  • キシダ ギンコウ ヤズ ショウエイ ヨネクラ ジロウ ノ チュウゴク チシ

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抄録

1.目的<br>  本報告は、近代日本で書かれた中国地誌について、岸田吟香、矢津昌永、米倉二郎の3人の著作を通して、その特徴と変遷を明らかにすることを目的とする。<br>  この時期の地誌は、施政の参考や地域の賞揚といった伝統的な役割から離れ、植民地主義に応じた世界観の形成という要請、および科学の急速な展開による洗練をうけて、次第にその近代的な様式を整えていった。記述の次元においてこの変化の様態を明らかにすることが、本報告の主要な課題である。それに加えて、地誌を書くという行為が内包する、主体の側における連続と非連続を解明することもまた、視圏の中におさめてゆくこととする。<br> 2.対象<br>  幕末から明治前期にかけて先駆的なジャーナリストとして活躍した岸田吟香(1833~1905)は、中国と深く関わった人物としても知られる。本報告ではまず、近代初期の中国地誌として、岸田が1882年(明治15年)に刊行した『清国地誌』(楽善堂)を取り上げる。<br>  近代日本ではアカデミー地理学の形成に先だって厚い地理学の蓄積がみられるが、地理教育の分野で活躍した矢津昌永(1863~1922)が1905年(明治38年)に著した『高等地理清国地誌』(丸善)を、次に検討してゆく。<br>  そして、近代の中国地誌の一つの到達点として、大学で地理学の訓練をうけてのち、多面的かつ多産な学術活動を展開していた米倉二郎(1909~2002)が地政学的な観点から、1944年(昭和19年)に公刊した『満洲・支那』(白揚社)を考察してゆく。<br> 3.岸田吟香と『清国地誌』<br>  華北から地域ごとに記述が進められる岸田の中国地誌は、視点の変化を追うようなリズムをもつ文章となっている。記述内容は、まず府を主たる地域単位に定め、その位置から始まり、行政領域と沿革、水系と山系へと続いてゆく。その一方、産業の記載はむしろ例外的である。そのスタイルは方志、すなわち中国で書き継がれてきた地方誌にほぼ添ったものとなっている。わずかに岸田が幕末にヘボンとともに滞在した上海について、同時代的な雰囲気を伝えるだけである。<br> 4.矢津昌永と『高等地理清国地誌』<br>  矢津の中国地誌は、地形や気候といった自然の記述から始まり、人口や交通、政治といった人文事象に移って、最後に地域ごとの記述に至るという、現在の地誌にも継承されている構成をもつ。各ページには地名を中心に英語表記が頭書されており、本文にもリヒトホーフェン等への言及が見られ、洋書からの翻訳がこの地誌の骨子をなしていることが想定されるが、参考文献の注記はない。ただし、日清貿易について詳細な記述が行われ、黄海会戦など時事問題が取り上げられることに端的に示されるように、単に横を縦に換えたような記述ではない。<br> 5.米倉二郎と『満洲・支那』<br>  本書は「世界地理政治体系」シリーズの一冊であり、巻末の紹介に「私は之等支那古来の方志を新しい視角から見直して、独逸ゲオポリティクの直訳ならざる、真の地政学書を書きたいと思う」と直截に語っているように、時代性を強く表出した地誌となっている。記述は、膠着した戦況を背景として、支配が安定していた華北においては産業開発を論じる一方、大後方となっていた西南部については外部との交通に関心を向けることがその一例であるように、中国を植民地とする明確な指向を有している。一方、個別の記述には、1930年以降、数度にわたって行った中国踏査と、内外のフィールド調査に基づく先行研究に依拠した分析が行われており、学術的には先端的な水準をもっている。

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