日系ブラジル人の生活実態と生活圏

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書誌事項

タイトル別名
  • The life actual condition and sphere of life of the people from Japanese Brazil
  • Case study of Oizumi town,Gunma Pref.
  • 群馬県大泉町を事例として

抄録

1.はじめに 1980年代後半からの景気拡大によって生じた労働者不足は外国人労働者の日本への流入をもたらした。1990年6月に行われた出入国管理および難民認定法の改正により不法就労者の締め出しが行われるようになる一方で、慢性化していた労働者不足を補う措置として3世までの日系人に対して定住者資格が与えられ合法的に就労できるようになった。1990年以降の日系人入国者は急増し、現在も増加傾向にある。本研究は、日系ブラジル人を対象とした。日系ブラジル人は集住している地区が限られている。集住している都市の特徴は、自動車・バイク、家庭用電気機器の生産が多い都市だということである。これらの職種が日系ブラジル人の来日直後の主な就労職種となっているためである。 日系ブラジル人の集住している地区の中から本研究では群馬県大泉町を研究対象地域として選び、日系ブラジル人の生活実態と生活圏について明らかにした。2.調査方法日系ブラジル人の実態の把握と行政の取り組みについて調査を行った。日系ブラジル人対象のアンケート調査を行い、属性(年齢、性別、日本語能力、家族構成、買い物をする店舗とその内容)を行った。そのデータをもとにブラジル関係の店舗の分布とその利用実態、生活圏を考察した。3.大泉町と日系ブラジル人 大泉町は総人口の約11%がブラジル人登録者である。これは全国的に見て、もっとも高い割合を示す地区であり、入管法改正以後、急増する外国人居住者に対し迅速な対応が見られたことで、今日に至るまで日系ブラジル人集住地区の先駆者的な自治体となっている。 大泉町では1989年に東毛地区雇用安定促進協議会が設立され(1999年解散)、合法的かつ人道的に日系人の雇用を行った。1990年の9月には町の外国人登録者数が1000人を突破し、学齢期の子供も増加したため10月には町内の小学校2校に日本語学級を設置した。1991年からは行政サービスや交通ルールのポルトガル語表記など生活に即した面での施策が進められた。その後、ブラジル製品を扱う店舗が増え、1996年には日系ブラジル人らが経営する店舗が一堂に集まったブラジリアン・プラザというショッピングセンターが開業し、日系ブラジル人にとって生活の便利さが向上した。1998年から現在にいたるまで、地域役員、外国人居住者、行政担当者による地区別三者懇談会が各地区で順に行われ、地域行事への参加などについての意見交換がされている。4.結果 大泉町に居住する日系ブラジル人は、年齢層の低い人たちや来日から日の浅い人、日本語の能力の低い人ほどブラジル製品を扱う店舗での買い物が頻繁である。また、ブラジル関係の店舗の分布では国道354号線沿いを中心にその立地が多く見られる。業種としては、食料品店、飲食店、衣料品店、人材派遣会社などである。これらの店舗の中には日系ブラジル人の情報交換などの場となっているものもあり、大泉町は日系ブラジル人にとって日常生活環境の整っている町であることがわかった。また、日系ブラジル人の生活圏はブラジル関係の店舗によって規制されていることもわかった。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680669390848
  • NII論文ID
    130007015225
  • DOI
    10.14866/ajg.2003f.0.155.0
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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