"Caw Herd Landform"

Bibliographic Information

Other Title
  • 牛群地形
  • Report on the strange riverbed structure
  • 特異な河床浸食形態に関する報告

Description

<BR> 本報告は,牛群地形の形成過程を解明する目的2000年9月から2003年5月まで浸食量の測定を行い,地形・地質について調査,分析した結果,明らかになった事項を取りまとめたものである.<BR>  牛群地形は,多摩川河口から44.7km上流のJR八高線と交差するすぐ下流側に位置し,その規模は,主に高さ1~2m、幅2~5m、長さ数m~20m(最大では比高4m、最大幅16m、長さ170mに達する)程で,この「島」が流路に沿って多く分布している.この特異な地形の名称がないため小泉が「牛群地形」と命名した(小泉、1998,『多摩のあゆみ』83号).<BR>  牛群地形を構成している地層は160万年前の第四紀更新世初頭に浅海で堆積した平山砂層からなり,層相からさらに5層に細分できる.<BR>  牛群地形の代表的な3~4断面を選定して,各断面の上下方向に約25cmピッチで浸食計を設置し,2回/月の頻度で浸食量を測定した.その結果,北側斜面では南側斜面より浸食量が際だって多い.浸食量は冬期に特に多い.浸食量は水面からの距離と関連しない.台風などの増水と浸食量は関係しない.浸食は地盤が凍結融解するときに発生している.南側斜面でも凍結融解するが,北側斜面と比較して規模が小さい.凍結融解の影響は夏まで継続し,凍結融解で緩んだ地盤は緩い土砂上を呈し強風時に吹き飛ばされたり,降水強度が強いときに雨滴で穿たれている.<BR>  牛群地形の出現過程は,地形図や空中写真の判読,聞き取り調査や文献調査の結果以下のとおりと考えられる.1950年代に入る頃から砂利採取が大規模に行われるようになった(『多摩川誌』,1986)ため,礫層の下にあった平山砂層が露出した.地表に現れた当初,平山砂層の表面は,現在の左岸側にみられるように,起伏が小さく,ほぼ平滑であったと考えられる.しかし1960年頃には,増水時に河床を流れる礫で牛群地形の原形「溝状」地形の形を呈し,子供たちが牛群の高まりからとなりの高まりに跳び渡ることが可能であったという.1970年頃には,高まりと高まりの間が開き,跳び渡ることはできなくなった.このため子供たちは竹竿を棒高跳びのように使って渡るようになった.しかしその後,さらに間隔が開いたため,現在では渡渉をしないと渡れなくなっている.<BR>  61年以降のいくつかの空中写真を比較検討すると,70年代には連続性のよい筋状の高まりが多数存在したが、80年代に入る頃から,連続性は途切れて,典型的な牛群地形の様相を呈するようになり,以後は徐々に幅や長さを縮小しているということがいえそうである.2001年秋に2回連続した台風で牛群地形の多くは多量の礫に埋まりひどく破壊された.この年まで台風や豪雨に伴う洪水は何度も発生しているが、それによる地形変化は大きいものではなく、牛群地形は1980年頃から2001年までの約20年間にわたって安定していた.20年の間に堆積物の表面からの風化が進み、さらに中間の節理に沿う風化も進んで、全体が劣化していたためである可能性が強い.

Journal

Details 詳細情報について

  • CRID
    1390282680669489920
  • NII Article ID
    130007015321
  • DOI
    10.14866/ajg.2008s.0.111.0
  • Text Lang
    ja
  • Data Source
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • Abstract License Flag
    Disallowed

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