富士登山の観光化の変遷と問題点

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  • Transition and Ploblems of Tourism in Mt. Fuji Climbing

抄録

1.富士山の観光化<BR>  富士山は古くから信仰の対象や御神体として崇められてきた。12世紀には富士山修験道としての富士信仰が、富士登山道の中で歴史上最古といわれる「村山登山道」から大きく発展した。16世紀以降になると、富士山麓の人穴で修行した角行による富士信仰が広がり、江戸の庶民の間で富士登拝が行われるようになった。江戸時代に行われた街道の整備は、江戸から富士山へ山梨県側からアクセスすることを可能にした。マスツーリズムを大衆化・大量化と捉えるならば、ここに富士登山の第一のマスツーリズム化(大衆化)が始まったといえる。<BR>  第二のマスツーリズム化(大量化)は、富士山へアクセスする道路の整備が進んだ1960~70年代だといえる。このころ、富士スバルライン(1964)、富士山スカイライン(1970)などが相次いで供用開始され、ほぼ同時期に中央自動車道の調布~河口湖間が全通したことにより、富士山へ便利で快適にアクセスできるようになった。登山者は増加し、この時期に営業を開始する山小屋も現れた。しかし同時にごみやし尿処理などが環境保全の問題として取り上げられるようになり、清掃活動は1960年代から、し尿処理は1990年代から取り組まれるようになった。<BR>  そして近年、第三のマスツーリズム化(超大量化)が起きている。富士山の観光化はさらに進行し、昨年度の登山者は過去最高の43万人(5合目以上)を記録した。この背景の1つに富士山が世界遺産の候補として注目されていることが挙げられる。これにより山小屋やトイレなどの利用者数の超過、道路の渋滞、登山知識や経験の未成熟な登山者による事故、病気、登山道の誤認などさまざまな問題が生じている。特に富士登山者の多くは初登頂者であり、外国人登山者も増加していることから、登山道の標識に統一化、多言語化が求められるようになった。<BR> 2. 登山道における標識の整備<BR>  富士登山道には国、県、市町村、山小屋などがそれぞれ設置した標識が乱立していた。表に2008年8月の標識設置状況を示す。どの登山道にも多くの標識が設置されていることがわかる。2009年3月には、国、静岡・山梨両県、周辺市町村、観光団体、山小屋の組合などが参画して「富士山標識関係者連絡協議会」が発足し、ガイドラインの作成に着手した。同年6月には新しい標識が設置された。標識は、案内標識、規制・警戒、総合案内の3種で、案内標識は登山道別に色を使い分けた(黄:吉田口、赤:須走口、緑:御殿場口、青:富士宮口)。言語は4ヶ国語(日、英、中、韓)表示となり、よりわかりやすい登山道の整備が進んでいる。<BR> 3. 残された課題<BR>  富士登山の観光化に伴う問題は、ごみやし尿などの環境保全の問題から、標識のデザインや多言語化といったアメニティの整備へと拡大している。しかし、依然として道路の渋滞解消、登山者やガイドの知識およびモラルの向上、科学的視点からの取り組みの必要性などの課題が残る。また、初登頂者が多く、滞在時間の短い富士登山の特性に配慮した情報の提供が鍵になるといえる。<BR> 【参考文献】池上ほか(2008)富士山における標識の実態分析,富士学会発表要旨集6,pp.6-7

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680670154112
  • NII論文ID
    130007016356
  • DOI
    10.14866/ajg.2009f.0.98.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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