中国大陸における初期外邦図作製

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  • Map Making by Japanese Intelligence Officers in China during 1880s
  • 1880年代の日本軍将校による手書き原図の調査分析から

抄録

1.アメリカ議会図書館における調査と成果<BR>  2008年よりアメリカ議会図書館で行っている調査で、1880年代に日本軍将校が作製した外邦図の手書き地図を多数確認した(渡辺ほか2009)。なかでも中国大陸を対象としたものは260点を超え、さらに調査を継続している。<BR>  外邦図作製は、これまで第1期:準備(編纂)時代、第2期:実測(整備)時代、第3期:外国製地図入手(整備)時代と、3期に区分され、上記手書き地図(以下手書き原図)は第1期に位置づけられてきた(高木1992)。しかし、これまでの調査から、日清戦争へ向けて、日本軍将校により、簡易測量とはいえ、実測が行われていたことが明らかになり、第1期と第2期の間には「初期実測時代」というような時期が設定できると考えるに至った。<BR><BR> 2.中国における地図作製体制<BR>  日本軍将校は1872(明治5)年から政情や軍備などの視察のために、中国大陸に派遣されていた。1878年に参謀本部が設立され、上記手書き原図を作成した将校の派遣が、翌1879年に開始された。将校は要衝の地に分散して配置され、管理者が北京・上海に1名ずつ置かれた。任期は3年で、2年目に2カ月、3年目に4カ月の「内地旅行」が命ぜられた(広瀬2001)。駐在将校は1879年に12名、1882年には16名、1886年に9名と変化した(村上 1994)。高木(1961)は、後述する20万分の1図の基礎となった上記手書き原図に相当する「旅行図」の提出者名と年代を示している。アメリカ議会図書館では、益満邦介らこれにみえる将校全員の手書き原図を各1点以上にくわえ、他の提出者による図も確認できた。<BR><BR> 3.作製網の形成過程<BR>  上記手書き原図には、路上図、地域図、都市図があり、うち路上図が大半を占める。図の裏面に棚番号や、作製した年代、さらに将校の氏名が記入されている。描かれた範囲は旧満州から北京、海岸部を中心に雲南省に及ぶ。<BR>  初期の測量成果を基に作製・印刷された地図に、国立公文書館蔵の20万分の1「盛京省東部図」(102×90cm)、「盛京省南部図」(146×146cm)、「盛京省西中部図」(120×134cm)があり(いずれも1882年、図番号:ヨ292−0172)、壬午事変に関連する清国との軍事的緊張に対応したものと考えられる。『陸軍省年報』第8年報(明治15-16年)は、「盛京省東部」、「盛京省南部」、「盛京省西中部」にくわえ「直隷省東部」の各図にふれており、計4枚が作製されたことがわかる。これは、1883(明治16)年より作製を開始した「韓国二十万分一図」から、後に中国に地域が拡大されて「清国二十万分一図」が作製された、という高木の解釈に対して新たな知見を提供するものである。<BR>  こうした初期の地図にさらに新情報がくわえられ、明治十七年創製「清国二十万分一図」や、1894年発行の百万分の一「假製東亜輿地図」が日清戦争にむけて整備されるに至った。前者の一部は、日露戦争に際しても利用されたが、臨時測図部などによる新たな地図の登場により忘れ去られ、旧陸地測量部で外邦図整備史の調査にあたった高木にさえ、その過程がトレースできなくなっていったのである。<BR><BR> 文献<BR> 高木菊三郎著,藤原彰編 1992. 『外邦兵要地図整備誌』不二出版.<BR> 高木菊三郎 1961. 『明治以後日本が作った東亜地図の科学的妥当性』高木菊三郎.<BR> 広瀬順晧監修・編 2001. 『参謀本部歴史草案』ゆまに書房.<BR> 村上勝彦1994.解説 隣邦軍事密偵と兵要地誌.陸軍参謀本部編『朝鮮地誌略1』竜渓書舎:3-48.<BR> 渡辺理絵・山近久美子・小林茂2009.1880年代の日本軍将校による朝鮮半島の地図作製-アメリカ議会図書館所蔵図の検討.地図, 47(4): 1-16.<BR>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680670640512
  • NII論文ID
    130007016907
  • DOI
    10.14866/ajg.2010s.0.211.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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