低断層崖と猪垣

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タイトル別名
  • Fault scarplet and "shishigaki"

抄録

◆ はじめに ◆ トレンチ調査適地が存在しないような活断層であっても,山地斜面上に残存する逆向き低断層崖をまたいでピットを掘削することにより,その活動履歴を解明できる可能性があると考えられる(金田ほか 2002).本研究では,1891年濃尾地震時に活動した根尾谷断層においてこの調査法の適用を試みたが,江戸時代に作られた猪垣(田畑を畜害から防ぐための防壁)を低断層崖と誤認して掘削を行ってしまったため,活動履歴を解明することはできなかった.以下,その経緯を報告し,山地斜面上の不自然な低崖の中には人工的なものが含まれる可能性があることを述べる.<br>◆ 調査地点 ◆ 調査地点は根尾谷断層中部に位置する岐阜県本巣郡根尾村神所背後の山地内である.調査地付近においては,根尾谷断層に沿って明瞭かつ系統的な河谷の左横ずれ屈曲が認められ,濃尾地震時にもこのトレースに沿って地表地震断層が出現したとされる(松田 1974).現地調査の結果,まさにこのトレースに沿って直線的に続く,山地斜面上の不自然な逆向き低崖を発見したため,この低崖を逆向き低断層崖と判断し,ピット掘削を行った.<br>◆ ピット掘削結果 ◆ ピット壁面に基盤岩は露出せず,崖錐性あるいはソイルクリープ性と考えられる礫混じりの弱腐植質土壌を主体とする地層が露出した(下図).崖の基部には明瞭な断層は認められず,崖そのものは斜面上に盛土をして作られたように見える.盛土以前の地表面を示すと考えられる古土壌層(図中のpaleosol)も崖を挟んでほぼ滑らかにつながることから,人工的に作られた崖を低断層崖と誤認して掘削してしまったものと考えられる.<br>◆ 考察 ◆ 掘削後の文献調査の結果,この付近には南北朝時代,根尾城と呼ばれる山城(1340年頃築城,1341年落城)があり,その復元図にはピット掘削を行った崖が「土塁および武者走」として記載されていることが判明した(根尾村 1996).一方,根尾村は,江戸時代後期(1804_から_1810年),組織的に猪垣構築を行ったことでも知られることから(根尾村 1996),この崖が土盛りの猪垣である可能性もある.盛土直下から採取した炭化木片(針葉樹樹皮)の14C年代は240±120 y.B.P.(暦年補正値で1462年以降)であり,後者の可能性を強く支持する.<br>濃尾地震時の地表地震断層が掘削地点ごく近傍を通過したことはほぼ間違いないと思われるが,それらしき微地形は存在せず,猪垣にも変位を受けた後は認められない.この付近では,上下変位をほとんど伴わない地表地震断層が猪垣とほぼ平行に出現した可能性が高いと推定される.<br>◆ おわりに ◆ 本調査では,山地斜面上の人工地形に関する認識が完全に欠如していたため,安易に低断層崖を認定するという過ちを犯してしまった.しかし,そのような認識をもって改めて崖を観察すれば,山地斜面に明瞭な上下変位のない部分が多いこと,近接して耕作地跡(現在は植林地)があることなど,この崖が猪垣であることを示唆する観察事項を複数指摘することができる.今後の山地斜面におけるピット調査の際には,トレンチ調査地点選定の場合と同様,人工地形の可能性を考慮にいれておく必要がある.<br><br>謝辞 本調査にあたって,堀島 勇,島田数雄,早野教大,松田時彦,林 春樹,高橋春成,岡田篤正,井上 勉,土志田正二,中西利典の各氏には大変お世話になりました.また,本研究は,東京大学地震研究所共同研究プログラム(2002-A-04)の援助を受けました.<br>引用文献 金田ほか 2002,地学雑誌 111: 747;松田 1974,地震研研究速報 13: 85;根尾村 1996,『根尾村史 史料・民俗編(二)』

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680670932352
  • NII論文ID
    130007017299
  • DOI
    10.14866/ajg.2004s.0.103.0
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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