中国東北における人口・経済・景観のマクロ構造にみる百年変化
書誌事項
- タイトル別名
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- The structural changes of population,economy and landscape in Northeast China in recent 100 years around
抄録
1.はじめに 本発表は『中国人口史』、『清代黒竜江流域的経済発展』などの著作及び関連する統計資料の収集・整理に基づいて、ここ100年間の東北地区における景観、人口、経済構造のマクロな変化、および東北地区が中国において重要な地位を占めるようになってきたことを報告することで、東北地区の理解を深めることを目的とする。<br>2.歴史的に経済が停滞し自然景観が卓越する地区 漢代に東北地区は、局地的ではあるが、既に農業生産を開始しており、唐代渤海国の時代では比較的高い水準の農業、手工業文明がみられた。しかし、中原などの内陸部と比較すると、当地は依然として中国の「経済発展の最も遅れている地区のひとつ」であった。清代初期の康煕年間になって人の活動が活発化し、各構造の変化が日増しに際立っていった。<br>3.人口の増加と経済構造の変化 清代初期、東北三省の総人口は35.6万人であり、全国の人口の約0.4%を占めていた。1911年に総人口1,996万人で全国の約4.9%、1912年に1,974万人で全国の約4.5%、1948年に総人口3,733万人で全国の約7.8%、1969年に総人口7,294万人で全国の8.9%、1989年に総人口9710万人で全国の8.7%、そして2012年には総人口1.1億人で全国総人口の8.1%を占めている。 1949年、全国の社会総生産額557億元、うち東北三省の総生産額は約127.4億元であり、 全国の約22.9%を占めた。1989年の全国社会総生産額は3.4万億元であり、東北三省では総生産額は約4148.1億元であり、全国の約12.4%を占めた。そして、2012年には全国のGDP総額は51.9万億元に達し、東北三省の総額は約5.1万となり、全国の9.8%を占めている。<br> 4.景観変化 農地の増加について。1949年の全国総耕地面積は16.8億畝、そのうち東北三省の総耕地面積は2.4億畝であり、全国の14.3%を占める。1989年の全国総耕地面積は14.34億畝、そのうち、東北三省の2.44億畝であり、全国の17.3%を占める。そして、2012年に行われた第二次全国土地調査によると、中国の総耕地面積はこれまで把握してきたデータより2億畝多く、20.27億畝であった。最新のデータでは2012年の東北三省総耕地面積は3.2億畝であり、全国の総耕地面積の約15.8%を占めている。 都市の拡大について。長春市を例に取ると、1900年,5.1km2、1930年,17.41km2、1954年,103.71km2、1976年,149.71km2、1990年,181.41km2、2004年,291.91km2である。改革開放以来、持続的に都市は拡大している。ある研究報告からは、1979年から2010年の間には、東北地区の19の重要都市(瀋陽、鞍山、本渓、大連、撫順、阜新、錦州、遼陽、長春、ハルピン、吉林、大慶、鶴崗、ジャムス、鶏西、牡丹江、チチハル、伊春、丹東)はすべて大幅な都市拡大がみられ、その総面積は2520.2 km2に及ぶ。ただしその拡大域は東北地区の総面積の0.4%である。<br> 5.近代化の角度からみる東北地区の構造変化 数世紀にわたって「近代化」は世界の潮流となってきた。また中華民族にとって、170年間に渡り途絶えることなく追い求めてきた目標でもある。これはまた中国の基本的国事情であり、蒋廷黻は「ここ100年、中華民族はただ一つの問題と向き合ってきた。中国人も近代化できるか?西洋に追いつくことができるか?科学と技術を利用できるか?同族意識や郷里観念を破棄し、ひとつの近代国家を建設できるか?」と述べている。しかし近代化は諸刃の剣であり、中国東北の自然景観や人口・経済構造を大きく変えることとなった。
収録刊行物
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- 日本地理学会発表要旨集
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日本地理学会発表要旨集 2014a (0), 168-, 2014
公益社団法人 日本地理学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390282680671091712
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- NII論文ID
- 130005481467
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可