担い手のライフヒストリーにみる「八重山ミンサー」の変容
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- 井口 梓
- 愛媛大学
書誌事項
- タイトル別名
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- The changeof traditonal craft "Yaeyama Minsaa" in terms of actor's life-history
- : A case study of Ms. A and her family in Ishigaki City
- -石垣市におけるA氏と家族のライフヒストリーを事例に-
抄録
本研究は、沖縄県石垣市および竹富町を事例に、ミンサーを生産するA氏とその家族のライフヒストリーや語りを通して、ミンサー生産の変容と地域文化として確立された「八重山ミンサー」の特徴について明らかにすることを目的とする。 第2次世界大戦以降、八重山諸島のミンサー生産は、竹富島において数名の技術保持者が存在するのみであった。1958年に外村吉之介ら民芸運動の支援を受け、竹富島で技術復興のためのミンサー織りの講習会が実施され、島内の技術保有者が徐々に増加した。本土復帰後は、竹富島における観光化と民芸ブームが相まってミンサーの需要が伸び、女性たちは民宿経営の傍ら、土産品としてミンサー帯を生産した。一方で、技術が途絶えていた石垣島では、竹富島出身のA氏がミンサー織りの技術を学び、1971年にミンサー生産と加工、販売を手掛けるA社を設立した。1989年に八重山諸島のミンサーは「八重山ミンサー」として体系化され、国指定伝統的工芸品に指定された。 近年、いずれの琉球染織産地も反物や帯地生産で厳しい状況にある中で、「八重山ミンサー」の特徴はミンサー生地を用いた小物商品の開発によって急成長した点である。石垣島に立地するA社を含む3企業が、1970年代からハンドバックや財布・名刺入れ、かりゆしウェアなど商品開発を進め、現在では「八重山ミンサー」の総生産額のうち80%以上を占める。八重山諸島を訪れる観光客の増加に伴って土産品の需要は拡大し、販売される小物商品は多岐にわたる。観光客にとって、「八重山ミンサー」は伝統的な帯地よりも小物加工品のイメージが定着している。
収録刊行物
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- 日本地理学会発表要旨集
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日本地理学会発表要旨集 2011f (0), 100158-100158, 2011
公益社団法人 日本地理学会
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キーワード
詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390282680672255616
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- NII論文ID
- 130007017963
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可