朝鮮王朝時代における『山経表』の系譜

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  • Genealogy of "Sangyeongpyo" in Joseon's Korea

抄録

Ⅰ.はじめに <br>  『山経表』は朝鮮王朝時代後期に発達した、朝鮮半島における山岳と分水界(以下「山経」という)の地理的体系を表形式で整理した地理書の一種である。 従来、『山経表』の原本の作成者は申景濬であると伝えられてきており、それに対して一部の学者が異論を唱えた段階で止まっており、その真偽は確定していない。これは主として論争の根拠が『山経表』やその関連史料の体裁や発行時期、発行機関、及びそれらに言及した政府の記録等にとどまっており、本来基本的な作業というべき、表の記載内容の精査を通じての検討は行われてこなかった。 <br>  そこで本研究では、まず『山経表』および関連史料に記載された山経の路線体系と経由地名、目的地等に着目し、筆者が入手できた9種類の写本及び申景濬の原本である『山水考』『東国文献備考(輿地考)』の内容を比較検討し、これらの系譜的な流れを出来る限り忠実に再構築した。次にその結果を活用しつつ、山経表が実際に申景濬の作であるかについて再検討し、筆者なりの見解を披歴することとした。<br><br>Ⅱ.『山経表』の類型と系譜<br>   『山水考』は全国一律の山経体系を持っておらず、国内の12か所の山を中心とした記述となっている。一方『山経表』では、白頭山を頂点とした一系統の体系に整理されている。正幹や正脈(一次分岐線)の数や名称はほぼ変わらないが、目的地の設定に若干のぶれが確認される。特に臨津北礼成南正脈に関して、終点を分水界の終点に近い扶蘇岬とするか、高麗の王都であった開城府とするかで大きく二つに類型化できる。また安城岐脈や黄澗岐脈などの岐脈(二次分岐線)の有無によって、国立中央図書館所蔵の『寅球』とそれ以外に分類できる。 <br>  途中の経由地に関してはどの写本もほぼ同じである。差異が出るのはむしろ原本の誤謬を正そうとする注の部分であり、注の有無や書き方によって分類が可能である。その他筆写時の漢字の誤記や略字の使用などを追跡すると更に細かく分けられるが、逆に大分類の意味を喪失させてしまうので、それらは写本間の前後関係の類推にのみ用いた。 結果として、『山経表』は内容面から大きく4種類に分類され、『寅球』を始祖としてそこから直に残りの3種に枝分かれしていた可能性が高いことがわかった。<br><br>Ⅲ.『山経表』と申景濬 <br>  結論から言うと、筆者は本研究を通じて、『山経表』の作成に申景濬は直接関与していないとの見解を得た。その理由は以下のとおりである。 『山経表』には、本来同一の山を指す名称が、誤って二つの山として分離されている場合が複数見受けられる。例えば『山経表』の漢南錦北正脈では「上嶺山」の次に「上党山城」が別の列に、別の山として記載されている。<br>  しかし『山水考』では「上嶺之山、為上党之阻」となっており、同書の他の部分との比較からも、これが同一の山を指していることがわかる。『山経表』の原著者も申景濬だったとすると、『山水考』もしくは同様の内容が盛り込まれている『東国文献備考(輿地考)』の内容を自ら引き写したことになるので、同一人物がこのような初歩的かつ明瞭なミスを犯すとは考え難い。<br>  さらに多くの写本において、上党山城の項に「此即在上嶺山者誤」などと、注にて筆写者によると思われる誤謬の指摘がされている。その注はさらに多くの写本に引き継がれているので、当時の識者の共通認識であったろう。特に上嶺山は忠清道の監営がある清州の鎮山であり、重要なランドマークであるので、申景濬がそうした過ちを犯した可能性は、きわめて低いであろう。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680672325888
  • NII論文ID
    130005481493
  • DOI
    10.14866/ajg.2014a.0_10
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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