アメリカ合衆国メイン州北部におけるアカディアン・フェスティバルとフランス系住民のアイデンティティ
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- 大石 太郎
- 関西学院大学
書誌事項
- タイトル別名
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- Acadian festival and Acadian identity in Northern Maine, the United States
抄録
1.はじめに <br> アメリカ合衆国では時代によって移民の出身地が異なり、移民とその子孫(エスニック集団)の存在は諸地域を特徴づける要素のひとつとなっている。したがって、それぞれの地域を特徴づける移民・エスニック集団に注目することは、アメリカ合衆国を地理学的に理解するためのひとつの方法といえる。最近では、移民・エスニック集団の伝統文化は地域の観光資源になりつつある。各地で開催されるエスニック・フェスティバルは、観光資源であると同時に、アイデンティティを確認する装置でもある。そこで本報告では、メイン州北部に居住するフランス系住民アカディアンを研究対象とし、アカディアン・フェスティバルに注目して彼らのアイデンティティを検討することを目的とする。現地調査は2012年から2014年までのいずれも8月に実施した。<br><br>2.メイン州のフランス系住民アカディアン <br> アメリカ合衆国のフランス系住民は、フランスではなくカナダからの移住者の子孫が大半をしめており、以下の3つの集団に分けられる。第一に、ルイジアナ州南部に居住するケイジャンである。第二に、ニューイングランド各州の都市に居住するフランス系住民である。彼らは、19世紀後半から20世紀前半にかけて、ニューイングランドで発展した繊維工業の労働者として現在のケベック州やニューブランズウィック州から流入した人々の子孫である。第三に、メイン州北部でカナダとの国境になっているセントジョン川流域に居住するアカディアンである。彼らは国境をはさんで隣接するニューブランズウィック州に居住するフランス語系住民アカディアンとルーツを同じくする集団であり、アメリカ合衆国と現在のカナダとの国境を確定させたウェブスター・アシュバートン条約(1842年)によってアメリカ合衆国に帰属することになった。 メイン州北部のアカディアンはその後、英語への同化圧力にさらされるようになり、1960年代になると通婚などによるカナダ側との交流も少なくなった。カナダ側のアカディアンは1880年代にアイデンティティに目覚め、たとえば8月15日(聖母被昇天の日)を集団の祝日に定めるなどの動きがみられた。また、1969年にカナダ連邦およびニューブランズウィック州においてフランス語が英語とならぶ公用語とされたことでフランス語の地位が向上した。一方、メイン州ではValley Frenchとよばれるフランス語が話されており、1980年のセンサスによると一部のコミュニティでは依然として80%前後の世帯でフランス語が使われていたものの、1970年代にはアカディアン文化は保全(preserve)される(べき)存在となっていた。そして、6月28日がアカディアンの日とされ、1978年から6月下旬にアカディアン・フェスティバルが開催されるようになった。 <br> <br>3.世界アカディアン会議の開催とアイデンティティ <br> 1994年から5年ごとに開催され、世界中からアカディアンが集まる機会となっている世界アカディアン会議が、2014年8月にメイン州北部のアカディアン・コミュニティも主催する立場に加わってニューブランズウィック州北西部を中心に開催された。これにあわせて、カナダ側のアカディアンのイベントで一般に行われるタンタマルがアカディアン・フェスティバルに導入され、さらにはアカディアン・フェスティバル自体が2012年から8月中旬の開催に変更されるなど、メイン州北部のアカディアンとその社会に大きな変化をもたらしている。
収録刊行物
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- 日本地理学会発表要旨集
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日本地理学会発表要旨集 2015s (0), 100261-, 2015
公益社団法人 日本地理学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390282680672353664
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- NII論文ID
- 130005490007
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可