中国広州市における新都心の開発と城中村の機能変化
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- 小野寺 淳
- 横浜市立大
書誌事項
- タイトル別名
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- Development of new city centre and functional changes of urban villages in Guangzhou, China
説明
1.グローバル化する都市空間と城中村<br> 中国南部を代表する大都市である広州は、香港や深圳といった珠江デルタ地域の諸都市と競合しながら、グローバル化の文脈の中でその空間構造を大きく変えつつある。他方、すぐれて中国的な文脈から説明される集団所有組織としての「城中村」(Urban village)が、広州の空間構造の変化の中で自らの機能を柔軟に変化させながら、重要な役割を果たしている。本研究では、中国の都市化の特徴を検討する一環として、その実態を明らかにしたい。<br><br>2.珠江新城の開発<br>広州市の共産党委員会と市政府は1992年に広州新都心―珠江新城―の建設を決定した(図)。中山記念堂・省政府・市政府・北京路の繁華街などからなる従来の都心からは東へ約4kmの位置になる。西地区は北部の天河中心地区とともに広州市の新しいCBDを構成し、東地区は居住地区とされ、17~18万の居住人口と、30~40万の雇用が想定された。<br><br> しかし1990年代は都市化を推進する資金源としての国有地利用権の譲渡が進まず、開発は停滞した。珠江新城の開発が軌道に乗ったのは2000年以降であり、香港資本など内外のデベロッパーが参入して、高層オフィスビルが林立する現在の景観が急速に形成された。<br><br>3.変わる城中村――猟徳村の事例<br><br> 新都心と相関する城中村の例として、ここでは猟徳村のケースを見ていくことにする。1970~80年代は珠江沿岸の水郷で、果樹が多く栽培されていた。そこに1990年代以降は大量の出稼ぎ労働者が流入し、近郊農村としての居住環境が破壊されて、典型的な城中村の一つになった。<br><br> その後、猟徳村は珠江新城の計画に組み込まれ、新都心の開発にともなって農地などの集団所有地を次々に収用されたが、村民たちは自らの居住地区は手放さなかった。そして2007年に再開発事業が始まってスラムのような城中村は取り壊され、2010年に37棟の高層の再開発住宅に生まれ変わって、そこに村民たちは帰還した。<br><br> 一方、従来の城中村に大量に住み着いていた出稼ぎ労働者はいなくなり、その代わりに新都心で勤務するホワイトカラー層が再開発住宅を賃貸して多く居住するようになった。ITや創造産業に従事するような専門職や、駐在する外国人も含まれている。年齢は若く、単身者が多く、学歴が高い。<br><br>4.変わらない城中村<br><br> 集団所有組織としての猟徳村は猟徳経済発展公司になり、村民はその株主である。土地が収用された際の補償金で住宅を建設し、複数の住戸を手に入れた村民たちは、相当の賃貸収入を得ている。巨額の補償金や資産に基づく株の配当金も毎年得ている。<br><br> 再開発住宅はその土地も建物も集団所有のままなので、住宅を売買することが認められず、住宅は必ず村民が所有している。そのため資産を有効に活用するには住宅を賃貸するしかない。周辺の商業的な高級住宅に比較すれば、新都心のすぐ隣に格安の賃貸物件があることになり、ホワイトカラー層にとっては人気の住宅地区である。経済発展総公司の株も売買が認められず、家族で継承することができるのみであり、「村」の枠組みは変わらず維持されている。<br><br>5.城中村をどう解釈するか<br><br> グローバル化が進む中国の都市は、労働市場における下層の労働力も上層の人材も取り込む必要がある。多くの城中村は、下層の労働力を供給する基地として機能を果たしてきたが、猟徳村のような新しい城中村は、上層の人材を供給する基地になっている。都心の近隣に非市場原理の空間が存在することによって、それが可能になっている。変化する都市の労働力需給の調節弁になっているとも言えよう。また、この異質の空間が都市の創造性の源泉たる多様性を担保していることも注目される。このような城中村は、北京や上海には少ない。
収録刊行物
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- 日本地理学会発表要旨集
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日本地理学会発表要旨集 2016s (0), 100239-, 2016
公益社団法人 日本地理学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390282680672529536
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- NII論文ID
- 130007018049
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可