前適応概念を用いたドイツ人のアナハイム植民事業の再検討
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- 矢ケ崎 典隆
- 日本大学文理学部地理学科
書誌事項
- タイトル別名
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- German Colonication of Anaheim Reexamined in the Context of Preadaptation
抄録
アメリカ人地理学者のテリー・ジョーダンは、ヨーロッパ移民による北アメリカの植民を検討するために「前適応」概念が有効であると主張するとともに、ドイツ人が南カリフォルニアに前適応していなかったことがアナハイム植民事業の失敗を引き起こしたと指摘した。本研究は、ドイツ人によるアナハイム植民事業を詳細に検討し、その失敗が、ドイツ人の前適応の程度に起因したのかどうかについて考察することを目的とする。1857年に開始されたアナハイム植民事業は、モルモン教会によるサンバナディノの建設とともに、アメリカ時代の初期に行われた集団開拓事業であった。アナハイム建設の経緯については、Minutes of the Los Angeles Vineyard Society(1857年2月2日~1860年4月30日、Anaheim History Room所蔵、M. L. Dwyerによるドイツ語からの翻訳、1957年5月)がある。住民の構成を知るために、1860年マニュスクリプトセンサスを用いた。1870年代から1880年代の事業所の構成は、シティディレクトリーにより明らかとなる。また、ローカル新聞Anaheim Gazetteからドイツ系社会の動向を探った。アナハイム植民事業は、サンフランシスコ在住のドイツ人が、ブドウ栽培とワイン醸造を目的とした営利事業の企画であった。しかし、1884年に発生した原因不明の病気の流行により、3年間でブドウが死滅した。こうして当初の目的は失敗して経済的基盤は失われ、バレンシアオレンジ栽培への転換が進んだ。アナハイム植民事業に参加したのは、アメリカでの生活経験を有し、多様な仕事についていたサンフランシスコ在住のドイツ人であった。彼らは経済的な利益を求めてブドウ栽培とワイン醸造を目指した。また、ロサンゼルスに近接するため都市化の影響を受け、多様な経済の機会が存在した。住民の転出・転入の結果、ドイツ的な特徴は弱まった。アナハイムは中西部に文化島のように存在したドイツ人農業集落とは性格を大きく異にした。すなわち、ドイツ人によるアナハイム植民事業の失敗は、前適応していなかったためであるとは結論付けることはできない。それはむしろ入植者の属性と地域の諸要因によって説明することができる。
収録刊行物
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- 日本地理学会発表要旨集
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日本地理学会発表要旨集 2012a (0), 100069-, 2012
公益社団法人 日本地理学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390282680673077248
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- NII論文ID
- 130005456919
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可