戦後都市における河川敷居住の存続要因
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- 本岡 拓哉
- 同志社大学
書誌事項
- タイトル別名
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- Factors of the continuation of riverbed settlements in postwar Japanese cities
- 熊本・白川を事例に
- The case of Shirakawa River, Kumamoto city
抄録
第二次世界大戦の終戦直後からおよそ1970年代終わりまでの間、都市部の河川敷の中には居住の場として存在していたところも多かった。すなわち、戦災都市の河川敷にはセルフビルドのバラックが建ち並び、「不法占用/不法占拠」「スラム」というレッテルを受けながらも、河川敷は居住の場としての機能を有していたのである。とりわけ住宅差別を受けた在日コリアンなどの社会的周縁層、経済的社会的弱者たちもそうした河川敷に留まることとなったが、その一方で、都市部の河川敷は養豚業や廃品回収業などにも適した環境であったため、かれらはこうしたインフォーマルな労働によって賃金を獲得することも可能であった。しかし、戦災復興による都市化、さらには1964年の「新河川法」制定を契機に、河川敷の整備は進み、その景観は大きく変容し、河川敷居住は消滅していくことになった。本報告では、戦後期に最も大規模な形で河川敷居住が見られた熊本・白川(一級河川、流域面積480km²)を事例に取り上げ、戦後の「河川敷」居住に対する行政(熊本市、熊本県、建設省)の対応を辿り、1970年代までそれが存続した要因について明らかにする。
収録刊行物
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- 日本地理学会発表要旨集
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日本地理学会発表要旨集 2014s (0), 100305-, 2014
公益社団法人 日本地理学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390282680673152640
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- NII論文ID
- 130005473855
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可