奥日光亜高山帯林の衰退は酸性雨だったのか?

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抄録

1.はじめに〈BR〉1990年代はじめより奥日光・足尾及び赤城山地において亜高山性針葉樹林やダケカンバ林の衰退、枯死が顕在化し、その原因として酸性雨、霧説(村野1991、1993)が有力視されていたが、台風害(長谷川1993、室井1994)、凍害(長谷川1989)、ハバチの食害(吉武ら1992)あるいはナラタケ病説(高橋ら1990)も報告されていた。筆者らは、奥地山岳林の森林衰退が、森林の代替わりに基づく更新の一態様であるか、酸性雨などの人為的な影響によって起こったものであるかの検討が必要であると考えから、森林衰退が著しいとされていた奥日光山地の念仏平、日光白根山、帝釈山に固定試験地を設置し、定期調査を続けてきた。この報告はそれぞれの固定試験地における1994年から2003年までの10年間の結果をまとめ、その変化と原因について考察したものである。〈BR〉〈BR〉2.調査地と方法〈BR〉調査地は、すでに述べたように1994年頃、酸性雨被害地として報道されていた南東側斜面に位置している念仏平のシラベ、オオシラビソ林、日光白根山のダケカンバ林と北西斜面で衰退・枯死の認められた帝釈山のシラべなどの亜高山帯林である。1994年にそれぞれの場所において被害程度に応じて20m×20mあるいは30m×30mの方形区を、念仏平においては立枯れの多い林縁と見かけ上正常な林内2カ所、奥白根山においては激害、中程度、正常林の3カ所、帝釈山では正常林と激害林2カ所を固定試験区として設置し、これまでに3回追跡調査を行った。調査項目は、ナンバープレートによる個体識別おこなった毎木調査、林野土壌調査書に準じた土壌調査、年輪解析および稚樹の林内外別の伸長成長量調査である。〈BR〉〈BR〉結果と考察〈BR〉1994年前後においては、念仏平、日光白根山とも立枯れ木が林立し、酸性雨被害地として大きく報道されていたが、2003年には、両地区とも立枯れ木が腐朽倒伏した。とりわけ、日光白根山の激害地では立枯れ木はすべて腐朽倒伏しハンゴンソウ、マルバダケブキの繁茂が著しくなった。また、ダケカンバ正常林では順調に成長が進み胸高直径、樹高とも個体ごとの進級が見られた。衰弱木の枯死は自己間引きによるものであった。ダケカンバの芽生え、稚樹は正常林では芽生えと数年生の稚樹が見られたが、それ以上に大きく成長する個体はなく、生き死にを繰り返していた。激害林では根株、倒木が乾燥していることとマルバダケブキなどの繁茂によって芽生え、稚樹とも少なかった。念仏平においても立枯れ木が腐朽倒伏しているが(写真1,2)、立枯れ木が上部斜面の林縁において新たに発生していた。また、立枯れ木の下には多くの稚樹が生育していた。しかし、林内では稚樹の伸長成長は少なかった。稚樹の成長は、立枯れの発生している林縁部分ではやや大きくなっていた。これに対し、立枯れ木が腐朽倒伏してしまった場所では、稚樹の成長が著しく良くなっていた。帝釈山においては、正常林は順調に成長し、小さな個体群は自己間引きで枯死していた。しかし、激害林では2.5~3m程度の矮生化した旗竿のように片枝に変奇した老樹はほとんど枯れ、比較的樹高の低い個体の列が残っていた。すなわち、枯れた老樹帯と樹高の低い生存樹帯とが交互に残る形となっていた。〈BR〉10年前の状態では、枯死木が林立していたために、酸性雨が主犯とされていたが、10年経過した段階で念仏平では稚樹が自己間引きやシカ食害を受けたもの以外では完全に生残している。白根山ではダケカンバの枯死林が完全に倒伏してしまいマルバダケブキ、ハンゴンソウ群落に置き換わっており、酸性雨による衰退であるとすると、これらの代替え群落の枯死が認められないことと矛盾する。したがって、10年間の稚樹の生残、成長などから、ここでの森林衰退は酸性雨ではなく、台風害とした谷本ら(1996)の報告を支持できる。また、帝釈山の北西斜面に設置した調査区でも、3m以上になった個体が列状に枯死しているのに対し、若い個体群では枯死が見られない。このことから、帝釈山のこしででも風の影響によるものと思われた。しかし、ここでは薙の崩壊が大きくなっており、土壌の流亡と水分バランスのくずれが枯死を促進しているものと思われる。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680679781632
  • NII論文ID
    130007019668
  • DOI
    10.11519/jfs.115.0.p1045.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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