明治後期の幼稚園における中心統合主義カリキュラムの受容・実践内容に関する研究

書誌事項

タイトル別名
  • A Study of the Concentration Curriculum Adopted in the Latter Part of the Meiji Era :
  • 明治後期の幼稚園における中心統合主義カリキュラムの受容・実践内容に関する研究 : 広島女学校附属幼稚園師範科生徒の保育案ノートを手がかりとして
  • メイジ コウキ ノ ヨウチエン ニ オケル チュウシン トウゴウ シュギ カリキュラム ノ ジュヨウ ・ ジッセン ナイヨウ ニ カンスル ケンキュウ : ヒロシマ ジョガッコウ フゾク ヨウチエン シハンカ セイト ノ ホイクアン ノート オ テガカリ ト シテ
  • ―広島女学校附属幼稚園師範科生徒の保育案ノートを手がかりとして―
  • Detecting from annual kindergarten-program notes written by a student-teacher, Toku Matsushita

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抄録

明治後期の広島女学校附属幼稚園の実践には,当時から幼児教育関係者の間で注目が集まっていた。本稿では,同幼稚園師範科生徒・松下トクの1906・1907年度の保育案ノートを用い,当時の中心統合法的な保育方法論を解明するとともに,フレーベル主義・子ども中心主義との位置づけの相対化を試みた。結果,1907年度には中心統合主義的なカリキュラムの日本化・地域社会化が図られていたこと,描画・貼画・塗り絵の使い分けにより子どもにとっての作画の難易の調整が図られた点で「子ども中心主義」を受容する素地が形成されつつあったといえること,恩物についても「教義的な利用」よりも「便宜的な利用」が主であったこと,の三点が明らかとなった。

収録刊行物

  • 保育学研究

    保育学研究 51 (1), 6-16, 2013

    一般社団法人 日本保育学会

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