Sublime and Becomming

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  • 崇高と生成(コメント論文,生成と物語-語りと語り直しの可能性の思想史-,フォーラム1)
  • 崇高と生成
  • スウコウ ト セイセイ

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Abstract

野平氏の論文は、前半部の物語論をめぐる思想史的な概論にではなく、後半部の理論的試行ともいうべき論考に焦点を当ててみれば、カントの『判断力批判』をめぐるアーレント-ハーバーマスの解釈とリオタールの解釈という相互に鋭く対立する流れのなかで、崇高論から両者を捉え直そうとする試みといえる。リオタールの崇高論を他者論に読みかえようとすること自体の問題点を指摘することもできようが、しかしながら、野平論文は、いまそこにいる「子ども」の「他者」性を弁証法的な発達の物語に回収し「理解」してしまうことなく、「子ども」と呼ばれている者との出会いという出来事において、その過剰な出来事を語りさらに語り直し、あらためて自己物語をも語り直す者の理論的解明を目指すという困難な課題を引き受けようとしたものである。野平論文は、このような課題意識のもとで、理論的な隘路をあえて歩もうとする果敢な試みとして評価することができる。

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