肉の隠喩と教育(コメント論文,近代教育学の脱構築に向けて-エピソード「かさこじぞうのテクスト空間」の射程-,Forum 1)

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タイトル別名
  • Education and metaphor of flesh
  • 肉の隠喩と教育
  • ニク ノ インユ ト キョウイク

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抄録

西岡けいこ氏の発表論文および報告論文について、いくつかの困難を率直に述べる。第一は、教室や教師を他から区別する本質的な規定における困難である。第二に、教室のエピソードの分析の視点について、メルロ=ポンティにおける肉の隠喩との関係が不明確である。そこでまず、肉の隠喩が表現する、身体による媒介の可能性と不可能性について、また言語の肉の隠喩から、転換可能性や否定性が意味理解の奥行きといった次元を構成することを明らかにする。この視点から西岡氏が示した二つのエピソードの可能性についてコメントする。メルロ=ポンティはつねに両義性に定位して思索した。精神は肉の裏面にあって肉をとおして世界の肉に触れる、という肉の隠喩も、可能性と不可能性の両義性を持つ。西岡氏は身体の共鳴や共感などポジティブな可能性を中心にして論点を立てたために、ネガティブな可能性を、授業の可能性の中に位置づける視点を逸してしまったと考える。

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