ミクロネシア連邦離島社会の主流島嶼への統合と異化

書誌事項

タイトル別名
  • The Integration and Dissimilation of Outer and Main Islands in the Federated States of Micronesia
  • ミクロネシア レンポウ リトウ シャカイ ノ シュリュウトウショ エ ノ トウゴウ ト イカ

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説明

<p>オセアニアの共同体オリエンテーションが顕著な公共圏の特質は、外部の批判者によって市民社会を欠くと批判される。他方、過度に規範化された公共性の概念自体が、オセアニアに限らず、サバルタン的公共圏を抑圧排除していると批判されてきた。この対立は、単一文化主義的国民統合と多文化主義的国民統合の対立を想起させる。多文化主義も文化の異なる中間集団を相互に媒介しえず、中間集団を統合するのは国家でしかないと批判されるのである。このような状況で、公共圏、国民統合の研究における人類学の貢献は、中間カテゴリーとしての公共圏の相互関係を民族誌的に特定することである。本稿では新興国家ミクロネシア連邦の中心島嶼に位置する主流派社会と少数 離島社会の在地の論理によって実践される共生の様態を報告した。</p> <p>ヤップ州の本離島関係には交易ネットワークの連鎖に基づく領域と、本島と離島をカテゴリーとして対比する領域が存在する。本島離島の二元化は第二次大戦後の米国信託統治の枠組みで生じ、独立後、離島出身公務員のアソシエーションの枠組みともなった。しかし交易ネットワークの関係はヤップ本島と離島という二元的なカテゴリーに変換されてしまったわけではなく、今日離島出身者のヤップ本島での生存戦略の中で流用されている。 </p> <p>ポーンペイ州のカピンガマランギ人は、米国統治初期の農村入植プログラムを通じて、首長国の称号を獲得し、称号を与える祭宴を開くほどポーンペイ島の首長国に統合された。しかし行政主導の貨幣経済化が進行するにつれて、カピンガマランギ人は雇用機会、手工芸品販売を求め、他の民族集団と同様に孤立化した。しかし入植村の権利や首長国の称号は、放棄されることなく、保持された。 ヤップ州とポーンペイ州の双方で、近代政治体制の導入により、エスニックな差異に類する対立関係が形成されながらも、主流島嶼と少数離島の間では互酬性による共生が維持されているのである。</p>

収録刊行物

  • 文化人類学

    文化人類学 81 (3), 485-503, 2016

    日本文化人類学会

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