The Function of Music in the <i>Tale of Genji</i>

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  • The Function of Music in the <i>Tale of Genji</i>
  • The Function of Music in the Tale of Genji
  • Function of Music in the Tale of Genji

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抄録

<p> 本論文は、『源氏物語』中に頻出する「音楽伝承譚」のテーマに注目し、既存の伝統的な話型が物語中に如何に取り入れられ、また如何にして変形、発展していったかを検討することによって、そこに浮かび上がる作者紫式部独自の表現様式、問題意識を考察しようとする試みである。</p><p> 「音楽伝承譚」は、父祖が子孫の栄華を予祝し、その祈りのシンボルとして次の世代に家の宝を伝授するという、古代神話や伝説に数多く見られる話型から発達したものと考えられ、平安中期以前に成立した『宇津保物語』の俊蔭一族の物語において、いわばその最初の完成を見たといってよい。この一族の始祖俊蔭は、漢学の才に優れた人物であったが、学問の家としての栄達を断たれると、若い頃異郷を流離った際、天人より授けられた秘琴と秘曲を一人娘に伝授し、子孫の繁栄を願いつつ、その生涯を閉じる。秘琴•秘曲はやがて彼の孫仲忠へと受け継がれ、楽器の霊力に守られた一族の者達は帝の寵愛を受け、宮廷内の重要な地位へ昇り詰めるのである。音楽(楽器、楽曲、或いは音楽の技能)の伝授によって一族の栄華が実現される「音楽伝承譚」の典型的なパターンといってよい。</p><p> このパターンをほぼ同様の形で踏襲したのが、『源氏物語』第一部を中心に語られる明石一族の物語である。ここでは不遇の文人貴族俊蔭にかわる人物として、都の宮廷社会から流離し、地方の受領に成り下がった没落貴族、明石入道が登場する。彼は一族の栄華と子孫の宮廷への復帰を願って醍醐天皇ゆかりの箏の奏法を一人娘明石君に伝授するが、この音楽が仲立ちとなって明石君と光源氏の婚姻が成立し、一族の繁栄の鍵となる後の中宮、明石姫君の誕生へと物語は進展していくのである。</p><p> 『源氏物語』第二部においては、頭の中将から柏木への和琴の技法の伝授、そして死後の柏木の横笛への執着とその笛の彼の不義の子薫への伝承が語られており、頭の中将一族の物語が「音楽伝承譚」を内に取り入れた形で展開されている。しかしながら、薫の昇進と彼の皇女二の宮との結婚が薫自身による形見の横笛の演奏で祝われるというこの物語のクライマックスは、一見「音楽伝承譚」の典型的な結末のように見えながら、実は薫の出世が彼の実の父祖である柏木や頭の中将の栄誉には繫がらず、彼の名目上の父である光源氏一統の栄華の一端となってしまうという奇妙な捻れを見せている。この筋の歪曲は、俊蔭一族や明石一族の物語に見られたような「音楽伝承譚」の話型からの逸脱を示すとともに、作者の関心が、父祖の願望の達成や一族繁栄の実現という外面的な問題から、より内面的な問題、即ち、子孫栄達の願いそのものの中に孕まれた余執や、柏木の霊の横笛への執着に象徴的に表されたような俗世への未練など、人間の奥底の心理に関わる問題へと次第に移動していることを暗示している。</p><p> 人間のもつ執着心へのこうした関心は、『源氏物語』第三部で語られる八宮家の音楽に纏わる物語の中で更に深化されている。政争に巻き込まれ、宮廷社会から追放された八宮は、妻の死後、娘二人とともに宇治に隠遁するが、読経の合間にも娘達に琴や琵琶の奏法を教授し、心を慰めている。この八宮の伝える音楽は、いわば彼の娘達への愛情と、彼女達の幸福を願う祈念の表現であるが、没落を運命づけられた八宮家の将来には明石一族のような栄華が用意されておらず、ここでの音楽はただ、俗世への未練と道心との間に引き裂かれた八宮の内面の苦悩を際立たせるものとして機能しているばかりである。『源氏物語』第一部から第三部に至る間に、「音楽伝承譚」の話型は次第に解体し、音楽は一族繁栄を導くものから、人の「心の闇」を映すものへと変化していったといってよいであろう。</p>

収録刊行物

  • 比較文学

    比較文学 33 (0), 210-196, 1991

    日本比較文学会

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