政治・倫理哲学としての社会学,社会学としての政治・倫理哲学

書誌事項

タイトル別名
  • La sociologie comme philosophie politique et morale. Et réciproquement
  • セイジ ・ リンリ テツガク ト シテ ノ シャカイガク,シャカイガク ト シテ ノ セイジ ・ リンリ テツガク

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説明

<p>1974年,人類学者のアンドレ・ルロワ= グーランはフランスの新聞ル・モンド紙上において「人間科学という不必要な科学の擁護」と題した論説を発表した。彼は,そこにおいて,師のひとりであるマルセル・モースが「全体的人間」と名づけたものについて行われる研究が直面する数々の困難についての懸念を表明した。より最近では,哲学者のマーサ・ヌスバウムは,人文学のための鋭い声明文(マニフェスト)において,経済的利益を主眼とする現代の教育・研究政策――利益のための教育,あるいは経済成長のための教育――が,いかに民主的生活というもの自体の可能性の条件を切り崩しつつあるかを強調した。国際競争の要請の前で,あたかも人文学教育が,よくてせいぜい,少々時代遅れであるが本質的には不必要な贅沢であり,最悪の場合には,罪のある自己満足であるかのような…。</p><p>この二重の擁護は,今日焦眉の問題である。フランス,アメリカ合衆国, さらにおそらくは日本においてもそうである。それは,とりわけ,人間・社会科学,そしてその中の社会学の現在の危機についての再考を促すものである。近頃世界を襲った経済・金融・政治的な危機の数々を予見し,診断することができなかったということが示すように,すべては,これらの科学が,ただ叙述し,説明するだけでなく,その改変,さらには変革に寄与するとしていた世界を前に,引き下がってしまったかのように進んでいる。この,社会と人間との自身への問いかけの停滞,もっと悪くすると退潮は,明らかに高等教育・研究の構造自体と切り離すことはできない。それはまた,別の意味では政治的なのであり,というのも,それは,このような不可分に再帰的で規範的な問いの正しさを認めることについての,われわれの社会のより一般的な困難性を示しているからである。明らかに,これらの要因は密接に関連しているが,われわれは,社会学という分野の危機に関するものに集中したい。</p><p></p><p></p><p></p>

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