教材としての石膏像生産・流通と伝播 : 明治10年代から大正末まで

書誌事項

タイトル別名
  • Production and Distribution of Plaster Figures for Drawing Education : From the Meiji Era (1880's) to the end of the Taisho Era
  • キョウザイ ト シテ ノ セッコウゾウ セイサン ・ リュウツウ ト デンパ : メイジ 10ネンダイ カラ タイショウマツ マデ

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抄録

本稿は,教材としての素描用石膏像が伝播していった過程と範囲を明確にし,その供給の実態と変遷を明らかにすることを目的とする。東京芸術大学所蔵の資料実物や文献からの調査の結果,石膏像生産業は,素描教育の方法と共に,美術学校主体から民間へと移行していったことがわかった。工部美術学校において西洋から輸入してそのまま使っていた石膏像は,東京美術学校時代からは国内で生産販売するようになった。明治10年代後半の中学校増設に伴い図画教育の総量が増え,大正期に入ると民間の業者も画材を多く扱うようになり,石膏像の生産と供給の量も増えていく。石膏像素描教育は制度として広がったというより,美術教育関係者を中心とした教育法と教材の伝播により,徐々に民間へと普及していった。

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