<ポスト哲学的>思索と<宗教的なもの> : 現代フランス哲学と京都学派の哲学から(思想としての宗教,<特集>第六十八回学術大会紀要)

書誌事項

タイトル別名
  • La pensee <<post-philosophique>> et le religieux : Philosophes francais contempotains et penseurs de <<l'Ecole de Kyoto>>(Religion as Intellectual Thought,THE PROCEEDINGS OF THE SIXTY-EIGHTH ANNUAL CONVENTION OF THE JAPANESE ASSOCIATION FOR RELIGIOUS STUDIES)
  • <ポスト哲学的>思索と<宗教的なもの>--現代フランス哲学と京都学派の哲学から
  • ポスト テツガクテキ シサク ト シュウキョウテキ ナ モノ ゲンダイ フランス テツガク ト キョウト ガクハ ノ テツガク カラ
公開日
2010
DOI
  • 10.20716/rsjars.83.4_1113
公開者
日本宗教学会

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説明

二〇世紀以降の現代において、従来の意味での哲学の存立可能性自体を根底から問い質しつつ自己解体的に展開していく哲学、その意味で<ポスト哲学的>と呼べるような哲学が台頭してきた。なかでもハイデガーの批判的継承を通してそうした種類の思索を先鋭化してきたのが、レヴィナスやデリダ、アンリといった現代フランスの哲学者たちであるが、彼らはそうした企てのために、各々独自な仕方で<宗教的>な着想や術語を大胆に換骨奪胎して再活用している。<ポスト哲学的>思索は<宗教的なもの>といかなる関係に立ちうるのか。そこからいかなる思索が立ち上がってくるのか。この問題を考えるために、彼らの思索と西田、田辺、西谷らの京都学派の宗教哲学との突き合わせを試みたい。京都学派の宗教哲学もまた、<宗教的なもの>の換骨奪胎と再活用による<ポスト哲学的思索>と見なしうるからである。「証言」(現代フランス哲学)と「自覚」(京都学派の哲学)という二つの概念が、この作業のための導きの糸となるであろう。

収録刊行物

  • 宗教研究

    宗教研究 83 (4), 1113-1133, 2010

    日本宗教学会

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