大正ロマンの生んだフェミニスト:山田わか・嘉吉の協働と思想(その8)

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タイトル別名
  • タイショウ ロマン ノ ウンダ フェミニスト : ヤマダワ カ ・ カキチ ノ キョウドウ ト シソウ(ソノ 8)

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抄録

<p>山田わか(1879-1957)は「母性保護論争」(1918–19)をへて母性主義を唱えるようになったが、元々はいわゆる女権主義の影響を受けていた。しかし、自身が子育てを経験する中で、国家が母親への経済保障をするべきだという考えに行きつく。わかと同様、平塚らいてう(1886–1971)もまた母性保護を、特に国家による経済保障による母性保護を主張した。両者ともにエレン・ケイの思想の影響を受け、霊肉合致の恋愛・結婚観に傾倒していた。二人の違いは、らいてうが母性への公的経済扶助は女性が精神的に自立するための手段となるととらえたのに対し、わかは女性の天職たる母性に公的扶助を与えることによって女性が家庭内分業の母親役割に徹することが可能になる、と考えたところにある。</p>

収録刊行物

  • ことば

    ことば 38 (0), 144-154, 2017

    現代日本語研究会

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