「児科雑誌」に発表された仮称所謂脳膜炎(鉛毒性脳症)に関する研究の足跡(4)高洲謙一郎その他による平井の鉛毒説に対する疑義

書誌事項

タイトル別名
  • Questions about Hirai’s Lead-poisoning Theory of So-called Meningitis in Infancy (Lead Encephalopathy) Presented by Kenichiro Takasu and Others Published in Acta Paediatrica Japonica
  • ジカ ザッシ ニ ハッピョウ サレタ カショウ イワユル ノウマクエン エンドクセイ ノウショウ ニ カンスル ケンキュウ ノ アシアト 4 タカス ケンイチロウ ソノタ ニ ヨル ヒライ ノ エンドクセツ ニ タイスル ギギ

この論文をさがす

抄録

平井毓太郎教授は,仮称所謂脳膜炎の本態が白粉中に含まれる鉛に起因する鉛中毒であることを1923年に「児科雑誌」上で明らかにした。その後多数の研究が発表され,大方は平井の説を支持した。ただ何人かの学者は鉛中毒説に疑義を呈し,前報で大久保による亜鉛中毒説を紹介した。今回は高洲謙一郎等による疑義を紹介する。高洲の疑義は鉛中毒説に全面的に否定的である。谷保平,唐沢光徳,長濱宗佶の三氏は鉛の他の要因の存在,鑑別法の規定の要望,病理学的にみた脳病変の相異点などを指摘した。平井はこれらの疑義に対して,殊に高洲の三編に対して懇切な解釈を以って応答し,鉛中毒説は確立した。(表1,写真2)

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ