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  • Airmass Transformation of the Yamase Air-flow in the summer of 1993
  • Airmass Transformation of the Yamase Ai

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抄録

ヤマセ気流は、オホーツク海高気圧の南ないしは南東の縁にそって、北太平洋で発達した寒帯気団が三陸地方に向かって吹き出すものである。通常、オホーツク海高気圧とそれに伴うヤマセ気流は、夏季に間欠的に現れるのみであるが、1993年の夏季には、それらが7月中旬から8月中旬まで持続した。持続的なヤマセ気流のため、三陸地方では異常な低温が総観規模の時間スケールの気温変動を伴いながら続いた。本研究では、気温変動の相対的な高温期と低温期の両方について、1993年のヤマセ気流の北西太平洋上における気団変質のメカニズムを調べた。<br>三陸地方沿岸で観測されるヤマセの気温は、沿岸のSSTを短期間3℃以上上回ることはあったが、SSTを3℃以上下回ることはなかった。つまり、SSTは気温の下限を決めていた。ヤマセ気流の気温変化は北西太平洋上のヤマセ気流の流跡線と関係していた。三陸地方に達するヤマセ気流の空気塊は、低温期には千島列島方面から南西進し、高温期には日本の東方海上から北西進してきていた。三陸沖ではSSTの南北傾度が大きいので、ヤマセ気流の南北方向の向きの変化は、その気団変質に大きな影響を与えていた。流跡線の違いには、オホーツク海高気圧の北太平洋への張り出しの強弱が関係していた。<br>低温期には、三陸地方で観測されるヤマセ気流には下層雲を伴った大気混合層が発達した。千島列島から東北地方にいたる海上で、ヤマセ気流は海から顕熱と潜熱をそれぞれ~30Wm-2、~80Wm-2受取り、これによる加熱は下層雲による~70Wm-2の放射冷却を打ち消して、気温をSST-3℃以上に保っていた。<br>高温期には、三陸地方のヤマセ気流には下層雲を伴った海面に接地する安定層が発達した。東北北部の沿岸域ではSSTが気温より低く、ヤマセ気流は、顕熱と潜熱をそれぞれ10~20Wm-2、0~20Wm-2失っていた。下層雲による放射冷却もヤマセ気流の冷却に寄与していた。しかし、三陸地方沿岸域での気流の北上が非常に速い場合や、上層雲によって放射冷却が弱められる場合には、ヤマセ気流の気温低下がSSTの低下に追いつかない可能性がある。<br>ヤマセ気流の気団変質は低温期であっても、冬季アジアモンスーンが黒潮域に吹き出す際に比べてきわめて弱かった。冬季モンスーンの気団変質では下層雲の放射冷却は海面の熱フラックスに比して無視できるが、ヤマセの気団変質では熱フラックスと同程度で重要である。

収録刊行物

  • 気象集誌. 第2輯

    気象集誌. 第2輯 75 (3), 737-751, 1997

    公益社団法人 日本気象学会

被引用文献 (20)*注記

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参考文献 (32)*注記

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