20世紀初頭サマルカンドにおけるロシアによるイスラーム法廷の監督

書誌事項

タイトル別名
  • Russian Supervision over Islamic Courts in Early Twentieth-Century Samarqand (<Special Feature> Shari‘a Courts and the Imperial Ruling System)
  • Russian Supervision over Islamic Courts in Early Twentieth-Century Samarqand

この論文をさがす

説明

ロシア帝国は19世紀後半までに西トルキスタン全域を征服し、一部を除いて帝国に併合した。ロシア統治下の中央アジアではイスラーム法廷も民衆法廷の名の下に存続したが、あくまでロシア当局の監督下におかれていた。本稿では、ロシア統治下のムスリム社会の変容を探るための予備作業として、ロシア法廷によりイスラーム法廷の判決が破棄された案件に注目し、例として1901年と1907年にサマルカンド管区法廷で行われた民衆法廷判決に対するプロテスト(異議申立)の事例を比較する。 1901年のプロテスト理由は、ロシア法廷で扱われるべき異民族間訴訟を民衆法廷が扱った場合など、比較的単純なトルキスタン地方統治規程違反が多く、未だ統治規程がムスリム社会に十分浸透していなかったことがわかる。一方、1907年にはそのような単純な統治規程違反は減少し、代わりにより微妙な法的判断を要する複雑な案件や、ロシア法を根拠にしたプロテストが増える。そのことは、統治規程とロシア法がムスリム社会に浸透していったことを示している。このようにロシア統治下でムスリムたちがロシアの法制度に順応していったことは、革命後の非イスラーム的法制の受容を準備したと思われる。

収録刊行物

関連プロジェクト

もっと見る

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ