『貞享書上』考

書誌事項

タイトル別名
  • A study of the “Jokyo-Kakiage” historiographical collection
  • 『 ジョウキョウ カキア 』 コウ

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抄録

天和3年(1683年)から翌貞享元年にかけて、江戸幕府は諸大名・旗本家等に、徳川家に関係する文書類の提出を求めた。この時、諸家から差し出されたものが『貞享書上』である。書上提出を命じた理由は、幕府が歴史書を編纂するにあたって、材料となるべき諸史料を収集するためであった。本稿は、『貞享書上』の有する史料的性格ならびに後世へ与えた影響について考察するものである。<br> 第1章では、『貞享書上』の成立について、幕府からの関連法令を検討するとともに、同書の伝来状況について論じた。『貞享書上』から派生して成立した『譜牒余録』についても、その編纂経緯等について分析した。<br> 第2章では、幕府から書上提出を命じられた諸家側の動向について検討した。事例として、仙台藩伊達家・米沢藩上杉家・小田原藩大久保家・村上藩榊原家・岡山藩池田家・福山藩水野家・福岡藩黒田家を取り上げた。それぞれの大名家が、幕府担当者や、一族内・家中・他家・所領などへ問い合わせをする動きなどを検討し、書上作成に関する具体的様相を明らかにした。また、書上の体裁について論じ、その構成自体が提出主体の意図するところを表した資料であることを述べた。<br> 第3章では、『貞享書上』が近世後期に幕府が行った歴史編纂事業へ与えた影響について考えた。事例として、『貞享書上』における関ヶ原合戦の記述が、『寛政重修諸家譜』においてどのようなかたちで用いられたか、島津・毛利・丹羽家の例を挙げて検討した。<br> 最後に、本稿末尾において、今後の課題について述べた。綱吉政権において、書上の提出から『武徳大成記』の編纂・成立にいたる一連の歴史編纂事業は、どのように位置づけられるべきであるか、綱吉の国家統治に対する意識とあわせて考えることの重要性について論じた。

収録刊行物

  • 史学雑誌

    史学雑誌 125 (4), 32-49, 2016

    公益財団法人 史学会

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