山小屋視点から見た奥黒部の生活およびエコツアートレールとして伊藤新道の再開通案

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書誌事項

タイトル別名
  • A mountain hut view of life at Oku-Kurobe and plan for Ito Shindo Trail as ecotour option

抄録

昭和21年に伊藤正一が初めて三俣蓮華小屋(現・三俣山荘)を訪れた際、黒部源流一帯はまだ職漁者が活動していました。正一は彼らとすぐ友人になりますが、そのうちの一人に、信州側への最短の下山ルートとして紹介されたのが、伊藤新道である湯俣川沿いのルートです。当初、下山は困難を極めたようですが、この時登山ルートとしての将来性を見出します。その後冒険心も手伝って、7年間を費やして詳細にわたり自力で調査し、昭和31年開通にこぎつけます。当時、伊藤正一は終戦直後のすさんだ世情の中「自然に触れることで人々が真の心を取り戻すことができる」との思いから、黎明期であったスポーツ登山の振興や、北アルプス奥地の開拓を文化活動としてとらえており、都会からのアクセスを一気に縮められるこの道の開通は、最優先事項のひとつでした。また、建設不可能地帯とも言われていた、黒部源流への資材運搬路としても、その開通は不可欠でした。時が経って私が正式に小屋番を始めた16年程前、伊藤新道が自然の猛威の前に崩落し、廃道になってから20年ほどたっていましたが、世は百名山ブームの真っただ中であり、登山者は口々に「何峰登った」や「どこの頂上がよかった」というような稜線世界の話をしていました。しかし、山小屋で何シーズンもすごし、登山道整備等で奥地に足を踏み入れるごとに、その懐には様々な魅力があることに気づきはじめました。高山の森、植生、地質、渓谷ごとの性質などです。そして山小屋としてこれらの多様な山の魅力を登山者に紹介したいと強く思うようになりました。また山には自然の多様性だけでなく、その自然の中で努力した人々の歴史や文化もあり、今こそその大切さを新たに価値づけ、発信する必要があると考えています。そこで思い立ったのが、上述の要素が箱庭のように凝縮されている伊藤新道の再開通です。また、ただ単に登山家の利便性に役立つのではなく、日本アルプスや日本の山岳地域の自然の多様性と豊かな自然資源にはぐくまれた生活や文化について学び、次世代へ伝承していくように、山小屋主体で山岳エコツーリズムを実現したいと思っています。そのために学術有識者との連携や自然へかかる負担のモニタリングも今後着実にしていきながら、環境学習の要素を持ち、自然を探訪するツアーや、トレッキング(山頂到達を目的としない自然散策)の要素を取り入れる準備をしています。今後登山客は奥黒部地域に足を運ぶことをきっかけに、作道の歴史、またそれにかかわった人々の文化や時代背景、また植生・地質・火山地形等、湯俣川と鷲羽岳を中心とした豊富な自然の要素を学び、北アルプスもしくは自然に対する造詣を深めていけると思っています。特に、これまであまり同種例を見ない山小屋主体のエコツーリズムの実現は、自然教育や持続可能な山岳観光のモデルとしても意義を持つと確信しております。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282763072237184
  • NII論文ID
    130007539973
  • DOI
    10.14866/ajg.2018a.0_54
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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