20世紀半ばの北京市における墓地の立地と殯葬政策

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  • A locational trend of the cemetery and funeral policy in Beijing City in the Mid-20th Century

抄録

1.はじめに<br> 人が死亡した後の弔いの在り方は,時代や地域の文化を反映して必ずしも一様ではない。しかし,世界の多くの地域で共通に,遺された者が故人を悼むために,一定の土地を使用する。そのため,葬送の在り方は,狭い範囲に人口が集中する都市地域では,衛生上の課題であるとともに,土地利用の課題でもある。改革開放後,急速に経済成長と人口増加が進む北京市において,筆者らは,「死後の土地利用」の持続可能性を確保するために,土葬から火葬への転換や郊外地域における数多くの公墓整備などの工夫を行ってきたことを報告した(土居・柴 2017)。<br> 本報告は,前稿で考察した,現代都市としての北京市の都市地域が形成される前,20世紀半ばの死後の土地利用」を巡る変化とその原動力を明らかにし,中国の都市地域における「死後の土地利用」に関する時代を超えた共通性や差違を考察したい。<br> 研究方法として,外邦図や文献資料の収集,現地での聞き取り調査を実施し,北京市における葬送に関わる政策の変化や,墓地や葬送関連施設の立地とその変化,またそのような変化の中で葬送に関わった主体の動きなどを考察した。<br>2.20世紀前半の「死後の土地利用」<br> 漢民族は文化として土葬を採用していた。しかし,中国は他民族の支配を受けた時期があるため,漢民族の全てが土葬ではなく,火葬も並行して行われた。しかし,明代には火葬が原則として禁止され,近代期である20世紀初期に至る。<br> 一方で,漢民族の観念として,死者と生者は空間的に分離されるべきであるという死生観は,土地利用という点では大きな意味を持つ。また,風水思想は施設の配置や方向などに影響を与えてきた。死者の居住空間である「陰宅」の立地は,この風水思想における適地に求めることが望ましいとされ,皇帝の陵墓の立地などにその影響が見られる。<br> 外邦図や当時の市街図などをもとに,20世紀前半の北京市における墓地の分布図を作成した。これによれば,現在の第3環状路から第4環状路に墓地が多い。第2環状路はかつての内城と外城を取り壊して建設されたが,この城壁を取り囲むように,小規模な墓地が集積していた。これに対して,城壁内では,外城の南東隅に墓地が見られるが,その数は少ない。つまり,20世紀半ばまでは,城壁が死者と生者の空間を分ける障壁として機能していた。一般庶民は遠方に埋葬地を求めることができないために,多くの墓地は城壁近くに設けられたと考えられる。<br> 一方,郊外地域においては,市街地の北西方向,特に現在は観光地で有名な圓明園公園の周辺に多くの墓地が分布している。外邦図において,これらの墓地には宗族名が記載されているものが多いことから,これらの墓地は貴族や裕福な家庭が造営した墓地であることがわかる。なお,圓明園周辺などは,風水思想における適地とされる。<br>3.20世紀半ば以降の「死後の土地利用」の変化<br> 新中国が成立した1949年以降の北京市では共産党政権のもとで,様々な改革が進められた。その一つとして葬送の在り方も改革が進められた。主な柱は,墓地の公的な管理,城内の墓地の城外への移設,火葬の推進である。政府は葬送空間の公的管理を行った。城内の寺院は葬儀を禁止することで,葬送と宗教が分離された。また,公墓への埋葬を含む葬送のプロセスを管理する政府機関の整備を行った。<br> また,1949年の建国後,すぐに城内にあった墓地の城外への移設が開始された。つまり,市政府が城内にあった儀園などを城外に移設することを決定した。また,城壁の内外にあった寺院の墓地,会館の儀園,無縁墓地が衛生環境と景観を損ねており,都市建設の障害であると認識された。失業市民や軍属なども動員して,城外にあった儀園や儀地の移設も進められた。これら墓地の移設先は,この時までに設置された東西南北の郊外の公墓である。城内の墓地の城外への移転は全て1953年までに終了した。<br>4.まとめ<br> 新中国が成立後に実施された,火葬の推進や城内の墓地の城外への移転,その後に行われた城外の家族墓地の撤去は,都市建設用地の確保へと繋がっていった。その結果,「死後の土地利用」は城壁から遠く離れた場祖に設けられることになった。また,寺院の葬送機能の停止は,共産党の思想的な基盤に基づくものではあったが,結果的に寺院のある場所と「死後の土地利用」が分離した。伝統的な死者と生者の空間的分離という価値観と共産党政権による国家建設という中国特有の要素が,20世紀半ばの北京市の「死後の土地利用」の再編の原動力になっていたと言える。<br>【文献】土居晴洋・柴 彦威(2017):現代中国都市地域における土地利用の課題としての墓地.大分大学福祉科学論集,no.2, pp.23-35.

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282763072627456
  • NII論文ID
    130007539961
  • DOI
    10.14866/ajg.2018a.0_97
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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