プラジュニャーカラグプタの感官知(indriyapratyakṣa)説――ニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派批判を中心に――

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タイトル別名
  • Prajñākaragupta’s Theory of Sense-Perception (<i>indriyapratyakṣa</i>): With a Focus on the Criticism of the Nyāya-Vaiśeṣika School
  • Prajnakaragupta's Theory of Sense-Perception (indriyapratyaksa) : With a Focus on the Criticism of the Nyaya-Vaisesika School

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抄録

<p>プラジュニャーカラグプタのPramāṇavārttikālaṃkāra (PVA) ad Pramāṇavārttika(PV)3.194–207における議論はPVA ad PV 3.208–222で展開される彼のcitrādvaita理論の前段となるものであり,そこでは経量部の原子論に基づいて特にニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派(N-V学派)への批判が行われている.本稿では,この議論の論点をプラジュニャーカラグプタの理解に基づいて整理し,N-V学派批判の構造の解明を試みた.</p><p>まず,PVA ad PV 3.197abにおいて,プラジュニャーカラグプタは反論を二つの論点に大別している.すなわち,彼の「感官知の対象は多数の原子である」という見解に対する(A)「知は同時に多数の対象を把握しない」および(B)「感官知の対象は単一なる全体(avayavin)である」という反論が想定されている.</p><p>また,ダルマキールティは反論(A)としてヴァスミトラの「迅速さ」(lāghava)説のみを想定しているが,プラジュニャーカラグプタはこの反論をN-V学派によるものとも考え,Nyāyavārttikaを引用してウッディヨータカラの「迅速さ」説への批判も行っている.この「迅速さ」説とは,個々の対象を迅速に把握するため同時に把握したと錯覚するというものであり,反論(A)を支持するために説かれたものだと解せられる.</p><p>そして,このN-V学派による反論(A)は彼らの到達作用説(prāpyakārin)に依拠している.この説によれば,視覚知の生起にはマナスの働く眼光線と対象の接触が不可欠であるが,マナスは単一であるため同時に多数の対象へ到達することはできない.したがって,彼らは同時把握説ではなく反論(A)を主張することになる.この到達作用説への批判はプラジュニャーカラグプタによってPV 3.205注に挿入されており,反論(A)を否定して自説を擁護するために有効な議論となっている.以上の考察により,反論(A)を中心とした議論の構造と,プラジュニャーカラグプタがダルマキールティのN-V学派批判をより精緻なものとしていることが明らかにされた.</p>

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